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竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどいに行ってきました

4月8日に山梨県甲府市の山梨県立文学館講堂で行われたイベント「竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどい」に出かけてきました。このイベントは、竹中英太郎記念館の主催で行われ、特に今回は英太郎さんの命日に行われたことから、挿絵画家としての英太郎さんの業績紹介に重きが置かれていました。これはある意味当然のことで、特に戦後の仕事の中で竹中労さんに頼まれたということで多くの作品を残したということが紹介される中で竹中労さんの話になっていました。

あと、やはり竹中労さんに向けられた企画としては、大工哲弘さんによるミニコンサートだったと思います。全部で5曲歌われましたが、実際に竹中労さんとのエピソードを曲と曲の間にトークで聞くことができ、最後に歌われた「とぅばらーま」では歌詞を一部竹中労さんが出てくるものに変えて、故人を偲んでいることが聞いているこちらにも伝わってきました。

今回はある意味、竹中労さんの話が聞きたいと思って来た人にとっては多少消化不良の内容になったかもしれませんが、今まで竹中英太郎さんの名前しか知らなかったという人にとってはいい機会になったのではないかと思います。

後半のトークライブのコメンテーターは、飛び入りで元一水会代表の鈴木邦男氏が登場したので、前回甲府で開かれたトークライブと4名(司会は除き竹中英太郎記念館の竹中紫氏も含めて)が同じ人選になってしまったことで、前回のトークとかぶるところがありましたが、以外にもと言ったら失礼の極みであるのですが、漫画家の喜国雅彦氏が半端ではない竹中英太郎フリークであることをご自身の発言で示し、トークでも積極的に発言していました。

特に表現者の立場として心に残る言葉ということで喜国氏が挙げられていたのが、宮崎勤死刑囚が起こした事件報道の中で、ホラービデオ規制の話題をテレビでしているとき、当時のテレビで一人のコメンテーターが

「ホラービデオということで一緒にしないでほしい。くだらないものがあるのは認めるが中には素晴らしいものもあるので、それらをまとめて法規制するのはおかしい」

というような一見ホラービデオ擁護のような趣旨のことを発言した際に竹中労さんがその人に噛み付いた「くだらないものにこそ存在意義がある」という言葉なのだそうです。どういう事かというと、竹中労さんに批判を受けたコメンテーターは自分の価値判断の中でホラービデオの中でも「素晴らしいもの」と「くだらないもの」の境界を作っていて、自分がくだらないものと判断するものにまで擁護しないのに対し、竹中労さんはそうした区別というものは自分の主観で判断することになるので、それでは法規制をする側と同じではないかということで批判したそうです。

私が竹中労さんの話を聞いて印象に残っているのは「たとえ馬の糞でも表現の自由がある」ということでした。自分の好みによって肩入れをするしないということがあるのはそれこそ竹中労さんにとってもあり、水道橋博士や樹木希林さんにとってはピンと来なかった「たま」に肩入れしたことからも明らかです。しかし、同じイカ天に出ているバンドで、単に自分に合わなかったり評論する価値もないと思ったり、さらに積極的に嫌いだと言うものがあってもそれらの表現者が迫害に遭っている状況があればそのために立ち上がって戦うと本気で言い切るだけの覚悟をもっていた人だったと思います。

そういう意味において今回のイベントにおいて一つだけ残念だったと思うことがあります。イベントの構成としては最初の1時間が大工さんのミニコンサートで、そのあとでトークイベントになったのですが、イベントの最後に会場で質問に立った人が「パネリストの皆さんは沖縄の唄を聞いてどのように感じましたか」という質問に水道橋博士が答えた中で、残念ながらコンサートは全く聞いていなかったと答えたことです。

これは、あとから読まれる方のために書いておきますが、今回のイベントの直前に水道橋博士の所属する芸能事務所「オフィス北野」において所属タレントと会社関係者の間でのトラブルがあり、その日の発言も、内容によってはネットだけでなくテレビのワイドショーを中心に拡散され、場合によっては多くの人に影響を与えかねない状況があったのです。大工さんがミニコンサートをしていた時間には現地にまで取材に来たマスコミ対応やパネラーとして同席した樹木希林さんへの説明などでいっぱいいっぱいだったということを話されていました。

しかし、竹中労さんの好きになった音楽のうち直接竹中労さんと交流があり、今後評伝を書くとしたら取材も必要になると思われる大工哲弘さんのステージをまったく見なかったのだとしたら大変残念です。せめて最後の2曲「与那国ションカネー」「とぅばらーま」だけでも聞いて竹中労さんがなぜ沖縄の旋律にこだわったのかということを考えるヒントを得てほしかったです。生で沖縄の一流の唄者の演奏を聞ける機会というのはそう多くはないので、後から御本人も悔やまれるだろうとは思うのですが、突発的な騒動のために竹中労さんのことをよく知ることができたかもしれないチャンスを失ったことで、水道橋博士の書く竹中労さんの評伝はさらに書き上げるまで時間を要するのではないかと思います(なお、私は参加していませんが打ち上げの席では大工哲弘さんが唄を披露したということなので、全く沖縄の旋律を感じなかったということがわかり、それは良かったなと思っています)。

樹木希林さんについては、今回のトークライブの時間が3時間と相当長かったこともあり、途中何も言わずにステージから消えてしまったり、最後には私がこんなに長く拘束されることはないと笑っておっしゃっていましたが、前回の発言ほどはお喋りになる機会がなかったというのが正直な見ていての感想でした。ただ、樹木希林さんにはこれからも長生きしてもらって、もっと多くの場所で竹中労さんに関する発言をしてほしいなと思います。