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「全日本歌謡選手権」の魅力とは?

昨日の2019年2月22日夜9時から放送された大阪・読売テレビ(ytv)の開局60周年記念ドラマ「約束のステージ」を見ました。番組の中で読売テレビとしての歴史に残る番組として「全日本歌謡選手権」という一般人だけでなく歌手として活動している人でも出演して10週勝ち抜けば自分のレコードを出す権利が与えられる番組の中で繰り広げられるドラマだったのですが、少々思っていたものとは違ったという感じでした。

というのも、「スター誕生」という同じようなオーディション番組の方が多くの人が知っていると思われる中、なぜ「全日本歌謡選手権」なのか? というところの答えをこのドラマから導き出すことは難しかったような気がします。

歌の上手い下手というのは聴いている人が評価すべきものだと思いますが、今回は主人公のお母さん役で出演した石野真子さんは、この番組にスター誕生に出る前に出演して落とされているのですが、その歌声と比べて今回出演した土屋太鳳さん、百田夏菜子さんの歌の実力はどうだったのかということをつい考えてしまいます。それは別に土屋さんや百田さんの事をディスっているのではなく、それだけ「全日本歌謡選手権」は出演者にとっては何を言われるかわからないくらい辛口の審査員を揃え、審査の厳しさに定評があったからです。

ドラマの中では毎回70点以上が合格で(審査員5人で1人の持ち点はそれぞれ20点)、10週勝ち抜けられればチャンピオンになるということが紹介されていたものの、勝ち抜くごとに合格のハードルは高くなるということはあまり伝わってきませんでした。というのも、番組から誕生した歌手3人を審査員役として出演させてしまったため、淡谷のり子さんや竹中労さんの人によっては厳しすぎて逆に敵意が湧いてきそうな辛口の審査員をキャスティングすることは難しかったのだろうとしか考えられないような気がします。

当時の事を知っている人だったら、まず当時の淡谷のり子さんや竹中労さんでも「あんたの歌は嫌い」だとか、「君は歌手には向いていないよ」というような厳しい台詞を出しようのない歌い手を出演としてオファーし、イメージとして当時の審査員に似せたキャスティングの中でも勝ち抜けるだけのポテンシャルを持った歌える役者を出して勝負しなければ、番組を見たことがない人の「全日本歌謡選手権」に対する印象というのは、かなり簡単に10週勝ち抜けそうな番組だと思われても今回のドラマの内容では致し方なかったと個人的には思います。

今の日本はドラマの中であってもかつての「全日本歌謡選手権」の雰囲気を伝えることは不可能なのだという事を感じたという点では見た収穫のあったドラマではありました。そうなるとさらに未来を指向する中での日本の音楽シーンというのは、ことテレビに出演して歌う事については、本当に実力のある人が出られないことが続くのではないか? と心配にもなります。まあ今の世の中はインターネットもありますので、そこからセルフプロデュースでも多くの人に歌を聴かせることはできる分、未知の才能が世に出やすくはなっているとは思うのですが、今のテレビ(地上波)がフィクションの中でも忠実に当時の「全日本歌謡選手権」を再在できなかった点に関しては、本当に残念なことだと思っています。


美空ひばりにジャズを歌わせた後悔と「土着」

先日ラジオを聞いていたら歌手の八代亜紀さんが出演されていて、そこでは演歌ではなく「ジャズ歌手」としての作品について話していました。パーソナリティの高橋源一郎さんは自分が一番好きなジャンルはジャズボーカルだと言って、まさに番組に来てくれたゲストに対してのホストといった感じで話を進めていました。

音楽が商売にならなくなりつつある今、いかに自分の存在を知ってもらうかというところにおいて、こうした「他流試合」をうまくこなすことで、ディナーショーやコンサートなどでも新たな客層が開拓できるでしょうし、八代亜紀さんのこうした音楽活動についてとやかく言うことはありませんが、彼女にとってはやはり同じ演歌界の大先輩である美空ひばりさんがジャズを歌っていたということも大きいのではないでしょうか。

竹中労さんは美空ひばりさんが離婚した際に、ゴーストライターとなって彼女の手記を週刊誌に発表するなどし、身内で強力なマネージャーであったお母上にも厚い信頼を得ることに成功しました。その良好な関係は有名な単行本「美空ひばり」を世に出した時に山口組の田岡組長との関係を書いたことで決裂してしまうのですが、それまではかなり美空ひばりさんの近いところにいたわけです。

そんな中で、それとなく彼女に聴くことを勧めたのがジャスで、当時の竹中さんは彼女に英語でジャズを歌ってほしいと思っていたのでしょう。その後、亡くなったナット・キング・コール氏を偲んで出した「ひばり ジャズを歌う」というアルバムではライナーノーツに解説を書いて後押ししているのです。
しかし、竹中労さんはこの事を振り返って後悔しているようなフシがあります。

(引用ここから)
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つまり、ひばりを私は誤解していたのだ。たとえていうなら、マヘリア・ジャクソンに肉迫し、融合する歌い手として。

歌と人・歌と民族・歌と歴史は、まさにわかちがたき一体として存在する。すなわち、歌とは土着であることに、『美空ひばり』を書いた当時(その方向にいちおう論理を展開しながら)、私は確信を持てなかったのだ。すぐれた歌曲を有する民族は、おのれの歌を深め、磨くことを第一義とするべきであると言いきることに、〝国粋主義〟ではないのかというためらいがあった
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(以上 ちくま文庫『完本 美空ひばり』302ページからの引用)

私ごときの音楽観と比べては竹中労さんの事を書くについて大変失礼であることは重々承知であるのですが、西洋の音楽をルーツとしない日本の音楽というのは、多種多様な面白味のある西洋音楽に比べて劣っている、演歌なんてとんでもないというような時期があっていわゆる「洋楽」というものをメインに聴いていた時期がありました。美空ひばりさんについても、代表曲は「悲しい酒」しか知らず、マスコミが山口組との黒い交際をバッシング報道し、弟も暴力団員ということで紅白歌合戦落選というようなイメージの中でしか認識していなかったのが小・中学生の頃の美空ひばりさんの認識だったのです。

引用した竹中労さんの文章を見ても、素晴しいと思ってはいても「マヘリア・ジャクソン」より上か? と言えばそこまでの歌い手ではないと思っていたのではないかと考えられるような書き方をしています。それは、やはり「土着」というものの凄さをそこまで気付いていなかったからだと思われるのです。
しかし、そうした考え方は間違っているということに気付いた竹中労さんは自己批判をし、あえて昔にひばりさんにジャズを歌わせたことについて後悔しているのですが、これをあくまでもメインが演歌であくまで「他流試合」に過ぎないと思えば、むしろ彼女の土着性を再確認できるものだとも取ることもできるでしょう。

私自身、竹中労さんの文章を読むようになって美空ひばりさんの曲についても「悲しい酒」以外の古い曲もいろいろ聴く中で自分の中での評価が変わったところがありますが、かなり強烈だった体験があります。それがフジテレビの深夜バラエティ「北野ファンクラブ」で流れる「スターダスト」で、これが「ひばり ジャズを歌う」にも入っていたのです。

このように、ジャズを歌う美空ひばりさんの歌声を聴いて、改めて彼女の演歌の作品を聴いてみた方々も少なくなかったのではないでしょうか。ひばりさんの歌うジャズは土着からは離れさせるような解釈を今になってする方もいないでしょうし、かえって美空ひばりという歌手は、日本という土にしっくりと根ざした上で他のジャンルもスマートにカバーする存在であることを示すものとして、現在も楽しんでいればいいのではないかと思います。

竹中労さんと土着といえば、もう一つの例として挙げたいのがイカ天のグランドキングを獲得した「BIGIN」の評価についてです。竹中さんは彼らが当初その味を隠していた八重山諸島の味を見抜き、高く評価していました。彼らの現在を見ると、見事にそうした土着性を楽曲に生かすことで、当時はまだ知らなかった八重山の旋律を多くの日本人の心に届けてくれたというところがあります。

こうした「土着性こそが世界に通じる」傾向というのは竹中労さんがいきなり出してきたものではないのですが、それをわかりやすい形で流行歌・ポップスの世界に出した功績は大きいと思います。現代の歌手の中にはあえてそうした土着の素性を隠したり、土着の中にある素晴しいものを現代の歌と合わせることで埋没させてしまっている人もいると思うのですが、長いスパンで見ると残っていくのは土着の文化であることは自明です。今受けるポップスというのは当座の飯の種と割り切って、伝統の凄さというものも合わせて伝えていくことも必要ではないかと個人的には思います。


テレビ朝日「今夜、誕生!音楽チャンプ」はぬるすぎる?

アマチュアの歌手志望者や、プロの歌手でも現在低迷している方を多く出場させ、優勝者にスポットライトを当てるためのコンテスト番組といえば、古くからテレビを見ている方なら読売テレビの「全日本歌謡選手権」を思い出す方も少なくないと思います。2017年の秋から日曜夜にレギュラー放送されるテレビ朝日系「今夜、誕生!音楽チャンプ」が始まり、10月8日に第一回が放送されましたが、あくまで私が見た限りでは「全日本歌謡選手権」というよりも、イギリスのテレビオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の劣化版といった趣ではなかったかなと思います。

多くの番組を見た方も同じように感じられた事かも知れませんが、審査員が厳しい言い方で「個性を出せ」というならば、採点の内容の半分がカラオケ採点マシンによる「譜面通りに音を外さず歌う」という採点基準を重視するのはちょっと矛盾します。ちなみに、審査員は4人いて、採点マシンが100点を持ち、各々の審査員は25点しか持てません。

論外だと判断された出場者がいても、カラオケマシン対策をして高得点を出せば勝ち抜けてしまいかねませんし、初回の採点内容を見ても、明らかに人間の審査員だけで評価すれば順位が変わってしまう場合がありました。こういう審査方法ではいくらキラリと光る才能を人間の審査員が感じた出場者がいたとしても、緊張で音を外したら他の出場者でカラオケ歌唱に特化した人には点数で負けることになってしまい、とにかく無難に歌い切った人だけが残っていくだけではないでしょうか。テレビ東京「THEカラオケ☆バトル」のように、素人で歌のうまい人を発掘するような番組の場合は機械オンリーで競う方法でも面白いとは思うのですが。

もちろん、歌唱力を評価しないで審査員の気分だけで落とされてしまうケースというものはありえますし、番組終了後のネットコメントを見ると、出場者に常に厳しい物言いをする特定の審査員についての非難コメントが続出していることから、あくまで選考は平等と説明できるカラオケマシンの採点を外せないクレーム対策というテレビ局の社内事情というものが関係しているのかなとも思えます。極端な例としては、幼少期の美空ひばりさんが加藤和枝という本名でNHKのど自慢に出て笠置シヅ子の歌を完璧に歌いこなしたにも関わらず、鐘が鳴らなかった理由が「大人の歌を子供が歌ったから」という今では考えられない理由だったという、実際に起こった話が参考になるのかも知れません。

ただ、テレビというものはその向こう側に多くの視聴している人々がいるわけで、全ての出場者を平等に歌っているところを流してくれさえすれば、合格した人と比べて明らかに審査員の意図で落とされた人の方が魅力的だった場合は、表面的でない本質的な審査員批判の声もネットを中心にして出てくるでしょう。ただ、この点でもこの番組は明らかに出場者を平等には扱わず、一部の出場者の歌唱をダイジェストで流したりもしていました。

予選の様子をダイジェストで流すのなら問題ないでしょうが、同じ土俵で競うところに差が出たら、番組自体に見せたい人の押し売りを疑う事にもなります。少なくとも今からでも番組の方針として、時間の問題があるというなら放送を複数回に分けるか全ての出場者の放送分をワンコーラスに限定するとかすべきだと思います。

この番組についてのネットの反応をひろっていくと、一部の審査員の厳しすぎる物言いに対する批判とともに目立ったのは、ある出演者の審査員や番組を舐めているのでは? と思えるような生返事のような受け答えについての批判でした。ここではあえてその方の名前出しは控えますが、厳しい批評というのは愛情の裏返しというところもあるのに、そうした厳しい意見を聞いているのかいないのかわからないような受け答えというのは、テレビで放送されてしまえば本人への批判という形になって帰ってくることがわからないという点で本人が批判される点はあるでしょう。しかしその前に個人的に番組に問いたいのは、それこそ番組で出場者に審査員が問うていた言葉ではありませんが、

「あなた方はこの番組で何を目指しているのか?」

という事です。基本的に初回の出場者というのはいわゆる「過去の人」になってしまっていた歌手が、歌手として再び日の当たる場所へ出て行くためのワンステップというようなコンセプトを出していました。ただそれにしては批判を浴びた出演者以外にもテレビの画面を通して見た限りですが、真剣さが見えずにヘラヘラ笑っているばかりの人もいて、もし竹中労さんの出ていた「全日本歌謡選手権」なら、竹中さんが収録を途中で遮ぎるように大声を挙げて、審査の対象にすらならずその場から帰ってもらうような類の暴言を浴びせていたように思います。当然ネット上では「あの竹中労というのは偉そうに何様だ。自分で歌えるのか」というような非難が集中したかと思いますが(^^;)、少なくともそのくらいの事をやらないと、出演者が真剣に番組に臨んではくれないのではないかとも思うのです。

もしかしたら、番組スタッフが出演者の面々に「全日本歌謡選手権」ばりに厳しくやるからというコンセプトを説明しないで、「新たな一面をこの番組で出してみてください」というようなぬるい説明で現場に出している可能性もあるのではと思っています。もしそうしたぬるい雰囲気で出演交渉をしていた場合、むしろ番組の意図と出演者の意図にずれがあったことによって起こった部分もあったとしたら、安易に出演者のバッシングに結びつける前に、番組自体の存在意義というものをもう一度問い直した方がいいような気がします。

それこそ、「全日本歌謡選手権」のような番組が今の日本で成立しえなくなった理由というのは、プロダクションの力が強くなり過ぎて、どれだけ歌唱力があって魅力的な人材がいたとしても弱小プロダクションでは評価される事も難しいほど大手プロダクションの圧力が強いからに他なりません。こういった話は昔の芸能界に限った話ではなく、今でもあからさまに「差別」されたのではないか? とされる話題には事欠きません。何よりもこの番組自体、大手プロダクションのジャニーズ事務所がからむ『関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王NO.1決定戦』から派生したような番組であるわけで、今後に期待するのは厳しいかも知れません。

(2017.11.20追記)

前日の11月19日に、第二回の放送を見させていただきました。前回の分は第一回の放送を見ての感想でありましたが、第二回目から1ブロック6人の予選を行ない、準決勝、決勝という流れで盛り上げて優勝者をデビューさせるということになるということがわかりました。ただ、前回の放送から変わった部分もあります。

まず、審査員を一部変更し、さらに前回比較的強い調子で出演者に対して厳し目な言葉を掛けた審査員の方も出ていましたが、第二回目については総じて荒々しい酷評すらなくなり、びっくりすることに、敗退した一人の出演者には「歌手もいいけどミュージカルに向いている」とその人に合った新たなステージまで紹介してあげるという優しさに溢れた話ばかりで、前回のような厳しさは影を潜めていました。これはもしかしたら、思いの外ネット上で反感が生じたので軌道修正したのか? とも思えてしまいました。

さらに、審査員が技術的な講評を行なった場合、ご丁寧にVTRで直前に歌った出演者を流し、どの部分のどの歌い方をどのように修正すればもっと良くなるということを出演者だけではなく、視聴者により分かりやすく見せるという演出がされていました。これは、オーディション番組としての面白さと、カラオケをうまく歌いたいと思っている視聴者のためのカラオケ上達番組としてテレビ東京の「カラオケ★バトル」との差別化を狙っているのかと思います。

ただそこにあるのはいかに多面的に視聴者からの支持を得るかというスタッフの思惑ばかりであり、本気で世の中に眠っている才能を掘り起こそうとしているのかという疑問も出てきてしまいます。

ネットでは合格者の中にプロの歌手がいたということで、アマチュアとは違うのだからプロは出さない方がいいというような声も見付けることができましたが、「プロ」だから全てが良いというわけではありません。むしろプロとして凝り固まった歌い方や考え方をしていて売れないからこそ、この番組にプロが出てきているととらえると、本気でスターになりたいなら、プロよりも才能を認められ敗北に追い込むくらいの人が出てこないと面白くないでしょう。

どちらにしても、この番組では優勝したとしても、芸能事務所の中で「歌」が必要な時に駆り出されてこき使われるだけの歌い手としてのニーズを補充するようになってしまう可能性すらあります。今はYouTubeで自分の才能を発信することもできるわけですから、出演される方もこうしたテレビ出演の機会をうまく使って、自分のYouTubeチャンネルに人々を誘導するための手段として使うように考えた方がいいのかも知れません。


竹中労さんは当初「ビートルズ嫌い」だった?

音楽評論家の伊藤強氏が、2016年12月15日にお亡くなりになりました。単にネットでプロフィールを見るだけでは、竹中労さんとの関係はわかりませんが、この方こそ名著「ビートルズ・レポート」を竹中労さんと一緒になって書かれたチームの一員だった方の一人です。ご冥福をお祈りいたします。

「完全復刻版」と銘打たれたWAVE出版の「ビートルズ・レポート」の巻末には、竹中労さんだけでなく、仕掛人となった河端茂氏(当時・音楽之友社)と、当時は報知新聞の文化部記者だった伊藤強氏の文章が載っています。その他、当時東京中日スポーツの記者だった森田潤氏、藤中治氏(日刊スポーツ)が「音楽記者」としてこのレポートの記事を書いています。

その中で伊藤氏の文章の頭に、はじめて竹中労さんに会った時の事が書かれています。伊藤さん自らの意志ということではなく、まず最初に河端氏から竹中労に会わないかと言われて会ったとのことですが、その前に河端茂氏と伊藤強氏が話している中で、ビートルズ初来日のレポートを書く話が始まったといいます(この時点ではまだ竹中労さんの名前は出てきません)。そして、河端氏の文章の中に、ビートルズと竹中労さんを結びつけるこんな内容が書かれていたのです。

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私が”ビートルズ嫌い”の竹中労に意向を叩いたのは、別に他意はない。ポピュラー音楽の華は、つねに異種混合の土壌に咲く。それなら書く方も異種混合でやってやれ、とおもったにすぎない。
(河端茂「あのとき、みんな曲り角に立っていた」から一部引用)
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こう河端氏が書くからには竹中労さんもビートルズの来日前には公前と「ビートルズ嫌い」を口にしていたということになりますが、それは同じ「完全復刻版 ビートルズ・レポート」のあと書きに竹中労さん自身が書いていたのでした。というのも竹中労さんの著作「呼び屋」の終章のタイトルが『くたばれ、ビートルズ!』であり、その文章を書いた当時には竹中労さんは彼らの音楽に納得していなかったと正直に書いています。

ただ、レコードやラジオで聴くのと、実際にその演奏を感じるのとでは違うことがあるということは当然あり、竹中労さんもそのように書いてもいます。恐らくそういったことを河端氏からうまく言われてその気になって「ビートルズ・レポート」に関わる中でビートルズ贔屓へと変わっていったというのが本当のところではないでしょうか。

河端氏にはいくらビートルズ嫌いを公言していたとは言え、ビートルズ来日にまつわるレポートをまとめられるのは竹中労さんしかいないとピンと来たのかも知れません。さらに「竹中チーム」として執筆に加わった河端氏伊藤氏をはじめとするマスコミ・出版者に所属するメンバーは名前を前面に出してレポートを書くことができなかったことから、竹中労さんが文責を一手に引き受けて「ビートルズ・レポート」が書かれたのです。

このような形で竹中労さんと言ったらビートルズと言われるようになるくらい、多くの人に認知されてしまうのですから、この功績というのは竹中労さんの仕事が素晴らしいからということはもちろんあるにしても、竹中チームを支えただけでなく、竹中労さんがビートルズについて書くきっかけを与えた河端茂氏や伊藤強氏の力もあったと言うべきでしょう。河端氏もすでに故人となっておられますが、その仕事とともに「ビートルズ・レポート」をプロデュースしたという点についてもしっかりと記憶しておくべき方だと思います。


竹中労さんは何故日本のフォークが嫌いなのか?

竹中労さんが亡くなる前に入れあげた「たま」を輩出したTBSの「イカ天」には様々な種類のバンドが出演していました。そこから出てきた若いミュージシャンを見る竹中労さんの目は全般的に優しかったですが、その反面既存のフォークやニューミュージックのアーティストについて、かなり厳しい目で見るだけでなく、露骨に嫌味を言うような書き方をしている場合があります(例えば、「さだまさし」を「ださまさし」というように)。

これは一体、どういうところに原因があるのか、ちょっと考えてもわからないと思われる竹中労さんが好きでなおかつフォークやニューミュージックも好きな方もおられると思います。そこで、ここでは竹中労さんが過去に書かれた文章を当たってみて、その原因と思われる点を検証してみようと思います。

私自身が竹中労さんの文章を読んでいて、確かそのような事が書いてあったと思った件があり、改めて竹中労さんの本をあさっていて何とか見付けることができたのが、竹中労さんが亡くなってすぐに出た単行本「無頼の墓碑銘」の中にある「ニューミュージックマガジン」初出の文章がそれに当たりますので、当該部分を引用して紹介します。長い文章を引用するのは気がひけるので、その前に書かれていることを要約して紹介すると、あがた森魚氏の「赤色エレジー」という曲について書かれているコラムの事でした。この曲はあがた氏自身のデビュー曲で、当時「コッペパンを噛りながらのどん底生活の中で、この曲をつくりました」(この部分は「無頼の墓碑銘」の中から引用)とご本人が言ったといいます。

となると、現在の「赤色エレジー」のクレジットはどうなっているのかということが気になりますが、上記のあがた氏の発言が真実ならば当然、「作詩・作曲 あがた森魚」になっているはずです。しかし、私がネットで調べた結果、作詩はあがた森魚氏ですが、作曲は「八洲秀章」となっているのです。

当時の状況をご存知の方もいるかとは思いますが、実はこの「赤色エレジー」については、伊藤久男さんが歌った「あざみの歌」(1951)に似ているのではないかという盗作疑惑騒動があったのです。「あざみの歌」も「赤色エレジー」もYouTubeや音楽ストリーミングサービスを利用すればその内容にあたることができると思いますので、興味のある方はぜひ聞き比べていただければと思いますが、個人の考えはどうあれ、多少違うから大丈夫ということにはならなかったようです。結果として「あざみの歌」の作曲者である「八洲秀章」の名前がそのままクレジットされることになったというわけです。

竹中労さんの考えとしては、似てしまったものは仕方がないわけで、それなら上記のような言い訳でなくはじめから「あざみの歌」を意識して作ったとか、無意識に過去に聞いた「あざみの歌」をなぞるような曲を作ってしまったとでも言えばいいというような事を書いています。もしこれが特許の世界ならば、基本的な特許を登録した人がいた時点で同じ特許を使った製品を出す場合は特許料の支払いが必要で、後からそれをアレンジしてさらにいいものに仕上がったとしても、無許可で製品を出し金儲けをしたとすれば、多額の賠償金を請求されることになってしまうでしょう。また学者の世界であれば論文を盗用したことがネット民の検証でばれてしまい、人生を変えるほどの転落へとつながった事件があったことを思い出す方もあるでしょう。「赤色エレジー」は当時60万枚を売リ上げる大ヒットになってしまったことで騒ぎが大きくなったところはあるかも知れませんが、この件についても何やらお金にまつわるきな臭さが漂おうとも言うものです。

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フォークの世界に、ぼくが愛想をつかしたのはこれだ。『よこはま・たそがれ』山口洋子のレベルまで彼らは退廃している。
(「無頼の墓碑銘」188ページ 「サハルヘカラス」より引用)
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そのような盗用疑惑にはっきり答えない歌手の存在があったことでそのジャンル自体に愛想をつかしたということがここで明らかになっていますが、後半部分は当時の時代を知らない方にとっては、ここに来て急に五木ひろしさんのデビュー曲、『よこはま・たそがれ』を作詩した山口洋子氏がなぜ出てくるのかわからない方もいらっしゃるでしょう。

五木ひろしさんは竹中労さんも審査員として番組に参加していた読売テレビの「全日本歌謡選手権」から再デビューしたことでも知られていますが、その際に強力な後ろ盾になったのが作詩家の山口洋子氏で、再デビューにあたって所属したプロダクションは山口氏の知人である野口修氏が経営していた当時はキックボクシングの沢村忠で有名だった野口プロモーションでした。その後、竹中労さんは全日本歌謡選手権の審査員を降りてしまうわけですが、その一つの原因が今回紹介する問題であったのかも知れません。

問題になったのが『よこはま・たそがれ』の歌詞について挙がった盗用疑惑です。アディー・アンドレというハンガリーの詩人の「ひとり海辺で」という作品に山口洋子氏の歌詞がよく似ており、完全な山口洋子氏のオリジナルではないのではないかという指摘があったのです。この件についてはかつて「週刊文春」編集長だった花田紀凱氏が竹中労さんの反応まで詳しく書いていますので、興味のある方は【山口洋子の「よこはま・たそがれ」は盗作だった。】という題名でネット検索して読まれてみるといいかと思います。

このように、しれっと他人から作品やアイデアを拝借して自分のもののようにして発表するような流れが当時の歌謡界にはあり、その流れの中にフォークやニューミュージックが巻き込まれた時点で、竹中労さんはこれらのジャンルについて見限ったと見ることができるでしょう。今回名前を挙げた歌手のファンの方からすると気分が悪くなる話かも知れませんが、事実は事実として受け止めることも大事です。特に今の世の中はネットですぐに検証され、盗用疑惑の段階でもネット炎上のような盛り上がりになる社会です。これから出てくるであろう多くのミュージシャンや作詩・作曲家も、作品として公開する前に過去に同じような作品がないかということについては十分に検証した上で発売するなど、疑われる事すらもしない方がいいと私は思います。


竹中労さんの言葉は何故若者を魅了するのか? 音楽の発言から見ると

竹中労さんの書く文章の内容は、今後このブログで紹介するにもどこから紹介するか困ってしまうほど多岐にわたりますが、その特徴の一つは同世代の人だけでなく、当時の竹中労さんからするとかなり世代が下の層にも受け入れられたということがあります。お亡くなりになる前に書いた「たまの本」を読んでファンレターを送ってくれた人の最年少記録は、小学校高学年の子だったと当時竹中労さんに近い人から聞いたことがありますが、何故小学生にもファンレターを出さずにはいられないような文章を書けたのでしょうか。

この点については私が竹中労さんの存在を知った時にはいわゆる若年層だったということもあるので、自分の経験も入れながらその理由について考えていきたいと思います。「たまの本」を挙げさせていただきましたので、今回は主に「音楽」に関する発言や文章について見ていくことにします。

普通の人が初めて音楽に自分から触れるのは、親や周るの大人が特別に音楽好きで、それなりの教育のために聞かせているという稀なケースを除き、常に家庭の中にあるテレビの歌番組やアニメ、ドラマ、テレビで放送される映画からというのがほとんどであるでしょう。ただテレビというのは玉石混交で、子ども向けとは言ってもアニメや映画の中でも決して正統派とは言えないヘンな音楽があり、なぜかそういうものに興味が出てくる場合があります。

その点について、自分の興味を押し付ける気はありません。ただ、私が過ごした静岡市周辺で小・中学生として暮らし、その体験をそのまま自らのプロとしての音楽活動に生かしているのではないかと思われる人たちが実際にいたので、そうした権威にすがって一つの事例を紹介しようと思います。その「権威」とは今では音楽シーンだけでなく映画やバラエティ番組にも一部進出している「電気グルーヴ」のお2人です(^^)。

彼ら電気グルーヴがかなり前の話になりますがメジャーデビューすぐに深夜ラジオのパーソナリティを行なうことになり、たまたま私が深夜に聞いていたのですが、番組の中で自分達のお気に入りの楽曲を紹介する中で、これも当時のベスト10には全く入らない類の楽曲ではあるのですが、かなり異質なポップスとして彼らが好きになるのも納得という曲がありました。それが香港映画「Mr.B00!」の、日本語や英語の曲を聞き慣れた耳にとっては少し変な、中国語をロックに乗せたテーマ曲だったのでした。私自身もゴールデンタイムのテレビで映画の日本語吹き替え版が何度もやっていたのをよく見ていましたので、吹き替えによる映画の内容とともに、その奇妙な主題歌は面白いと思っていました。

ただ恐らく映画が公開された当時、例えばクレージーキャッツやドリフターズの楽曲と比較して素晴しいと評価する音楽評論家など皆無だったのではないかと思うのですが、少し時間が経って、竹中労さんが「Mr.B00」の主題歌を評価しているのを読んでびっくりすると同時に大いに感心した事があります。その部分をここで紹介しましょう。

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ご隠居 許(ホイ)・ブラザーズも『ミスターBOO』の主題歌なんか、かなりのものだったが。
左太郎 『ドリフターズ・ソング』ですか?
ご隠居 そう、スチャラカ・ロックの一級品であったわけだけれど、香港製だからと日本の若者は乗ってこないのだ。
左太郎 それも、差別なんですねえ。
(テレビ談語 第2回「テレビは、地球をダメにする」 単行本「人間を読む」(幸洋出版)202ページより引用)
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ここで述べられているのは、当時まだ「ワールドミュージックブーム」が起こる前から、日本の聴衆や評論家があくまで評価するのは欧米の音楽が中心で、アジアなど当時の日本人が見下していて(日本人が「名誉白人」だなどという言い方もあった時代です)、世界各国あまたある地域の音楽についてもまともに聞いて評価する土壌が皆無だった事について憤っているということもあるでしょう。

そのような当時の音楽状況など全く知らなかった当時の若者世代よりさらに下の世代である電気グルーヴの二人が、結果として評論家の言う事など全く気にしないで面白いものは面白いと思いながら音楽活動を続けていくうちに、さらに面白いものが生まれ、メジャーでも成功を収めているというところもあるわけです。

何でもそうですが差別というものは物事の本質を見失ってしまうものです。どんな軽蔑すべきものと思うことがあっても、まずは体験してみてから良し悪しの判断を下すことで、見えてくるものは大いにあるのではないかと私は竹中労さんのこの文章を目にして教えられたような気がします。

そこで、しみじみ思うのは、竹中労さんは音楽についても事前に偏見を持って聞いたりせず、良いものだと感じたら他人の目を気にすることなく褒めるという立ち位置にいたからこそ、若者からの信頼を勝ち得ることができたと思えるのです。

竹中労さんが肩入れした「イカ天」の審査員の中には、楽器を演奏するについての技量についてのみ判断し、あくまで上から目線で話すような方もいたのですが、竹中労さんも審査員として番組に出ましたが、その時に感じたのは目線を下げ、テクニックよりも魂の叫びが感じられたり、何より楽しくバンド活動をやっているところを評価していたように思います。

音楽について判断する耳の良さということだけではなく、音楽を聞く前の段階として、どんな事でも差別しないで評価するという姿勢というのはやはりさすがで、こんな人は今の音楽シーンを見渡してもなかなか見付けることができないからこそ、今も様々な場面で語られているのではないでしょうか。


チャーリー・パーカーと沖縄島唄の関係性を探る

私自身がこれほど竹中労さんにのめり込むことになってしまったというのは、実のところ竹中労さんの思想というよりも音楽の趣味の良さを先に好きになったからということがあります。でも、最初の頃はなぜ美空ひばりや沖縄島唄がすごいのかということはわかりませんでした(^^;)。前者については、単に若い頃の音楽の趣味が洋楽中心だったため、日本の演歌なんて古臭いものはという感じで全く聞く耳を持っていませんで、後者の方はというと、小さい頃からの私の聞いていた音楽ジャンルというのはポップなものばかりで、言葉もわからず音階の関係からどの曲も同じ曲に聞こえてしまうという、当時は全く耳が肥えていなかったという事は言えると思います。

そんな私の状況と竹中労さんを結びつけるというのは無理な話ではあるのですが、竹中さんが「たまの本」で書いているご自身の音楽遍歴を読んでいると、その足跡をたどることはできます。学校の音楽の成績は全く駄目だだったものの、少年の頃に声帯模写をした川田義雄(この方はまだ幼い美空ひばりさんとの共演も多い師匠にあたる方です)とあきれたぼういずや、エノケンこと榎本健一の歌っていた曲というものが竹中労さんの原体験として体に染み込んでいたというのは実に興味深いことです。

おそらく少年の頃というのはそれが何物かもわからず、ただ面白いものの真似をしているに過ぎないのではないかと思うのですが、後になってそのルーツがわかった時、さらなる興奮を覚えるものです。竹中労さんにとってのその時とは、軍国少年として戦時中に軍の施設で働いていた時に、かわいがってもらった青年将校に蓄音機で聴かせてもらった当時は敵国だったアメリカのジャズがそれでした。戦前の浅草の芸人達は、こぞってジャズを自分なりに崩してネタにしていたのですが、その原曲を初めて知ることによって、戦後にジャズをおおっぴらに演奏したり聴けるようになると、まるでスポンジが水を吸うように新しいジャズを聴き込んで行ったというのは想像に難くありません。その中でも一番の実力と人気を誇ったのが、竹中労さんが「神」と崇めた「チャーリー・パーカー」だったのでした。

実際にチャーリー・パーカーの音楽を聴いた方はおわかりかと思いますが、そのメロディ自体はとてもとっつきやすく、メロディを含むテーマの後に繰り広げられる彼の自由闊達なソロは必死に聴いて何とかわかるというようなものでは決してなく、あくまで自然に聴く人の耳に入ってきながらもその真似できない凄さがわかるという感じでした。私のチャーリー・パーカー初体験は、日本人のジャズマンが彼の曲「ドナ・リー」を演っていて、演奏者ではなくこの曲を作った人はどんな人か? というところに興味が行き、彼のレコードを手に入れて聴いたのですが、自分もパーカーをジャズ入門時に聴いていれば、もう少しまともにジャズと向かい合えたのではないかとすら思えた覚えがあります。

チャーリー・パーカーはもちろん、ジャズもそんなに聞いていないという方に、パーカーの凄さをもう少し説明すると、彼はアルト・サックスを吹くのですが、上記で挙げさせていただいたような作曲の才能はもちろんあるのですが、さらに凄いのはメロディを吹いた後にその場その場で即興の演奏をし、その内容が素晴らしいという事があります。彼の現在聴くことのできるCDには全く同じ曲がひたすら続く、知らない人にとっては拷問としか思えない曲の並びがある作品も存在するのですが、なぜ同じ曲が続くかというと、メロディの後の即興演奏の部分が全てのテイクで違うので、聴く人はその違いを楽しむように同じ曲でも別の日・時間に録音した演奏を聴き比べるのです。

こうした即興演奏を楽しむという習慣というのは決して現代だけのものではなく、古くはクラシックの大作曲家として知られているバッハやベートーベン、モーツァルトもやっていたといいます。ただ残念なことに、当時は即興で生まれる音楽を記録する方法が楽譜しかありませんでした。もしその時代に音を録音する機材があったら、今の私たちは大作曲家自らが即興で演奏したものを楽しむことができたのかも知れませんが、録音技術が生まれた時に最盛期を迎えたのがチャーリー・パーカーをはじめとするジャズ演奏家だったのです。

彼の音源は必ずしも状態のいいものばかりではありませんが、かなり音質が悪いものでも彼の音というのは実に魅力的です。その日その場でしか聴くことができなかったものを、録音することによって場所も時間も飛び込えて楽しむことができるということを竹中労さんがチャーリー・パーカーを聴き始めた頃にどこまで考えていたのかはわかりませんが、この体験が後に自身が惚れ込んでしまった島唄の名手の今を録音して広く伝えたいという風になっていったことは間違いないでしょう。

多くの歌い手の中でも特に素晴らしいと言われた嘉手苅林昌さんは、彼がまだ若い時分には存在したと言われる自由恋愛の場「毛遊び(もうあしび)」の席で、ずっと三線を奏でていたと言われています。その時によって違うでしょうが、通り一遍の唄ではなく、その場その場で歌詞や曲を勝手に作って唄い続ける必要があったわけで(そんな状況の中なので歌詞の内容も猥歌になる場合も多分にあります)、それはチャーリー・パーカーの演奏にも同じような部分を見付け出すことができます。

このように即興で作曲し、自分だけの音として聴衆に納得させてしまうには天賦の才能が必要ですが、本物を知っている人は本物を見分けられるだけの眼力を持っているとも言えるのかも知れませんが、しみじみ音楽家としての経歴もない竹中労さんの音楽的な魅力を見付ける眼力は凄いものだと思います。私などはただただこうした才能に憧れるばかりですが、だからこそ、竹中労さんが推す音楽に多くの人が注目するのでしょう。