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改めてわかる「たま」の異質さとそれを評価する眼

朝日新聞の土曜版別刷り「be」で、「もういちど流行歌」というコーナーがあります。たまたま読んだ2017年1月28日付けの紙面では1990年7月のオリコン・チャートベスト20から朝日新聞デジタルの読者が投票して「読者のベスト15」を決め、その結果を取材して記事にしています。

そのベスト15で堂々のベスト1に輝いたのはB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」で、当時のバブル期の雰囲気とからめて記事にしていました。投票2位も米米CLUBの「浪漫飛行」で、バブルの記憶と結びついているという意見が紹介されていました。さらに、当時は仕事がたくさんあり、音楽を聴くどころではなかったという意見も紹介されています。

その他目立ったところでは4位のTUBE「あー夏休み」や、10位のユニコーン「働く男」など、世の流れはイケイケドンドンという感じにこの記事を読んだだけでは思えてしまいがちですが、この記事は一つ大きな見落しをしています。それは投票総数のうち327票を集めて5位になった、たまの「さよなら人類/らんちう」について一言も触れられていないところです。ちなみに、「おどるポンポコリン」の票数は903票でした。

当時のオリコントップ10にも8位にランクインし、その年の紅白歌合戦にも出場した「たま」は1990年の音楽シーンにそれなりのインパクトとともに登場し、大きな印象を現在まで与え続けています。しかし同時期に売れた曲との比較の中では「たま」だけが異質のような「暗さ」を持っている事を忘れてはいけないでしょう。

バブル期で世間が騒げば騒ぐほど、このままの状況が続くのだろうかと不安に思ったり、世の中が退廃していくことへの嘆きを持つ人も少なからず存在していたでしょう。そうした民衆の不安というものを「たま」の楽曲を通して見事に解説してみせたのが竹中労さんでした。この年には「たまの本」を出したということもあり、かなり多くのテレビに出演し、自論を述べたことにより初めて竹中労という存在を知った方もいるのではないでしょうか。

「たま」を聴いてから竹中労さんに出会った人と違い、それまで竹中労さんのことを良く知っている人は口々に、なぜ竹中労はこんなバンドをビートルズの再来だとまで持ち上げて騒ぐのだと否定的な見解が多くありました。しかし、2017年という未来から1990年のチャートを見てみると、「たま」は確実に現在の日本を当時の状況の中で予言していた唯一のバンドであることが理解できるような気がするのです。

どの世の中でも論説の「主流」があり、そうした主流に寄り添うような形で発言することは自分も相手も傷つけずに無難に行なうことができます。しかし、そうした「主流」からいったん外れるような主張をした場合、今の世の中では特にやり玉に挙げられると徹底的に攻撃を受ける風潮があり、それなりの覚悟がなければ意見を出すのが難しい場面もあります。

今にして思えば、日本のミュージックシーンにおいてあらゆる宣伝とは関係なく、さらに売り出しを目的に作られた音楽とも違うオーディション番組の中からひょっこりと顔を出した「たま」の姿にシンパシーを感じ、勝手に連帯してあらゆるプロジェクトを人からもメンバーからも頼まれずにやってしまったのは、計算があってのことではなかったと思います。なぜなら、その時すでに命の締め切りを告知された後で、今後今まで自分のしてきた仕事の中で何を仕上げるのか取捨選択しなければならない時でもあったからです。

しかし結果的に竹中労さんは「たま」のムーブメントに乗り、実現はしなかった事を含めても、壮大なプロジェクトを発想し、そのまま帰らぬ人になりました。これは竹中労という人が決して文筆家で留まる人ではなく、実践を伴う革命家であった証として忘れてはいけない事実であろうと思います。