月別アーカイブ: 2016年12月

「水道橋博士」は韜晦しているのか?

2016年は、10月に山梨県甲府市で竹中労さん没後25年ということで多くの人を集めてのシンポジウムが開かれました。その様子については様々な所で活字になったりネット上に感想もちらほら挙がっていますが、タレントの水道橋博士(敬称は略させていただきます)が当日の飛び込みのような形でパネリストとして参加したことで、大いに注目を集めました。

その席上において、少々以前の記憶が曖昧になっている鈴木邦男氏の発言を的確にフォローしたり、当日水道橋博士を呼んだ女優の樹木希林さんから竹中労さんの評伝を書けと言われ、当初は断っていたものの会場の雰囲気にほだされたのかすぐではないにしろ書く方向でという感じで宣言をなさったように私には見えました。

シンポジウムには水道橋博士がバイブルのように読まれているのかと思われたみき書房版の「ルポ・ライター事始」に沢山の付箋を挟んだものを持ち込み、その思いの丈を真剣に話され、さらには感極まったかと思われるような一瞬もありました。やはり多くの人を前にして話したり議論をされたりする方は、下調べもちゃんとして日頃の勉強も欠かさないのだろうなとその時は思いました。

その後しばらくして、水道橋博士の姿をテレビで見る機会がありました。平日の午前中にNHK BSプレミアムで放送されている過去の番組を紹介する「プレミアムカフェ」という番組で、あの照屋林助さんを特集した番組「ハイビジョン特集 沖縄 笑いの巨人伝」の再放送がありました。

その週は「笑い」をキーワードに日ごとに過去の番組を放送していたのですが、お笑いということでなのか、番組の最初と最後にNHKのアナウンサーと一緒に出てくるゲストが水道橋博士でした。

放送日と収録日の関係があるので、恐らく竹中労さんのシンポジウムより前の収録であることが感じられましたが、水道橋博士は以前から事あるごとに竹中労さんについての発言をメディアでしていましたし、何といっても沖縄の島唄(THE BOOMの曲名ではなく奄美や沖縄地方の民謡を総称した言葉)をレコーダーによって収集していたことが竹中労さんの奄美・沖縄のレコードを出された仕事と共通します。さらに、林助さんが大統領だった「コザ独立国」では、竹中労さんは鎌倉大使(当時は神奈川県鎌倉市に竹中労さんが住んでいたことからの命名)も名誉職ではあるもののされているほどの関係があるので、水道橋博士が何を言うのか、ちょっと期待しつつ番組終わりのトークを聞いたのですが、そこで水道橋博士の口から出てきた言葉に大ゲサではなく、しばし唖然としてしまいました。

開口一番出た話が、「島唄」という言葉について、水道橋博士はそれまでTHE BOOMの曲名だと思っていたと発言し、沖縄民謡全般のことを島唄ということにびっくりしていたという話でした。さらに、番組最後の方に出てきた現代の琉球フェスティバルにおいて、演者が聴衆と一緒にカチャーシーを踊る姿を真似るように両手を上げて踊る仕草を見せて、それを「エイサー」と言ったのにはさらにびっくりしました。

普通に考えると水道橋博士には全く沖縄や奄美(当然宮古や八重山にも)に関する知識が全くなく、竹中労さんが沖縄で何をやってきたのかということを書き記す以前の状態なのではないかとコアな竹中労ファンに思われてしまいかねません。しかし、水道橋博士はお笑い芸人であり、受けを狙ってわざと無知を決め込んだのか? という疑念も拭うことはできません。

それだけ甲府市でのシンポジウムの時には竹中労さんの著作を再版して欲しいという発言もしながら竹中労さんについても相当熱く語ったのですから、まさか竹中労さんをあれだけリスペクトする人が、後年文庫化もされた「琉球共和国」をはじめとする島唄に関する著作があることすらも知らなかったような態度を取ることは何か理由があるのではないかと私には思えるのです。

このエントリーは恐らく2016年最後のエントリーになると思いますので、2016年のうちにこのもやもやした想いだけは書き記しておこうと思いまして、こんな文章を書かせていただきました。個人的には水道橋博士の書く竹中労さんの評伝には大変期待しています。私のちょっとした危惧が杞憂に終わるように祈りまして2016年の更新を終わらせていただきます。

(追記)

私自身は芸能界とは全く縁もゆかりもないので、詳しい内情は全くわからない中で上記の内容を書かせていただいたのですが、最近のテレビを見ていて水道橋博士の言動と似たような感想を持った事がありました。

日本テレビの「月曜から夜ふかし」という人気番組がありますが、番組名の通りつい夜ふかしして見てしまうのですが、その中で紹介された千葉のスーパースター「ジャガー」さんと語る女性アシスタントがすごい! というあおり文句に興味を持って見ていたところ、その女性アシスタントとは業界では十分に知られていると思われるフリーキャスターでタレントの田中美和子さんだったのでした。

彼女については改めてここで語るまでもなく、ニッポン放送のお昼の生ワイド番組「鶴光の噂のゴールデンアワー」で、笑福亭鶴光さんの相手役を立派に務めるだけではなく、その上を行っているのではないかと思えるくらい面白い話術で番組を離れた今でも熱狂的な信者がいます。

私自身はラジオで聞いていただけでしたが、実際にテレビの画面でジャガーさんと対時する中できちんとテレビカメラを意識してしゃべる姿は、ラジオの時と比べても全く衰えていないと感心することしきりだったのですが、番組のMCである二人は全くこの事を知らないという体で番組はそのまま進行して終わってしまったのでありました。

考えてみれば、そうしたウンチクのような知識をインサートしても若年層には何だかわからないですし、単にジャガーさんの隣で喋っていた女性が面白いということでいいのかも知れませんが、面白さというのはどういう経歴から生まれたのかという事を知れば、それはそれで注目が集まるしいい事もあるのではないかなと思うのですが。それとももしかしたら、知っているのに敢えてその内容を人に知らせないで情報がネットから上がって盛り上がるのを待つような手法があるのかも知れませんね。

ちなみに、先日集英社のkotobaという月刊誌で水道橋博士のインタビュー記事が載っていて、自分の意志として本当に竹中労さんの評伝を書いてみたいということを活字にしていました。想いを活字にするということは相当な決意だと思うので、改めて期待したいものですね。

(2017.5.16)


竹中労さんは当初「ビートルズ嫌い」だった?

音楽評論家の伊藤強氏が、2016年12月15日にお亡くなりになりました。単にネットでプロフィールを見るだけでは、竹中労さんとの関係はわかりませんが、この方こそ名著「ビートルズ・レポート」を竹中労さんと一緒になって書かれたチームの一員だった方の一人です。ご冥福をお祈りいたします。

「完全復刻版」と銘打たれたWAVE出版の「ビートルズ・レポート」の巻末には、竹中労さんだけでなく、仕掛人となった河端茂氏(当時・音楽之友社)と、当時は報知新聞の文化部記者だった伊藤強氏の文章が載っています。その他、当時東京中日スポーツの記者だった森田潤氏、藤中治氏(日刊スポーツ)が「音楽記者」としてこのレポートの記事を書いています。

その中で伊藤氏の文章の頭に、はじめて竹中労さんに会った時の事が書かれています。伊藤さん自らの意志ということではなく、まず最初に河端氏から竹中労に会わないかと言われて会ったとのことですが、その前に河端茂氏と伊藤強氏が話している中で、ビートルズ初来日のレポートを書く話が始まったといいます(この時点ではまだ竹中労さんの名前は出てきません)。そして、河端氏の文章の中に、ビートルズと竹中労さんを結びつけるこんな内容が書かれていたのです。

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私が”ビートルズ嫌い”の竹中労に意向を叩いたのは、別に他意はない。ポピュラー音楽の華は、つねに異種混合の土壌に咲く。それなら書く方も異種混合でやってやれ、とおもったにすぎない。
(河端茂「あのとき、みんな曲り角に立っていた」から一部引用)
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こう河端氏が書くからには竹中労さんもビートルズの来日前には公前と「ビートルズ嫌い」を口にしていたということになりますが、それは同じ「完全復刻版 ビートルズ・レポート」のあと書きに竹中労さん自身が書いていたのでした。というのも竹中労さんの著作「呼び屋」の終章のタイトルが『くたばれ、ビートルズ!』であり、その文章を書いた当時には竹中労さんは彼らの音楽に納得していなかったと正直に書いています。

ただ、レコードやラジオで聴くのと、実際にその演奏を感じるのとでは違うことがあるということは当然あり、竹中労さんもそのように書いてもいます。恐らくそういったことを河端氏からうまく言われてその気になって「ビートルズ・レポート」に関わる中でビートルズ贔屓へと変わっていったというのが本当のところではないでしょうか。

河端氏にはいくらビートルズ嫌いを公言していたとは言え、ビートルズ来日にまつわるレポートをまとめられるのは竹中労さんしかいないとピンと来たのかも知れません。さらに「竹中チーム」として執筆に加わった河端氏伊藤氏をはじめとするマスコミ・出版者に所属するメンバーは名前を前面に出してレポートを書くことができなかったことから、竹中労さんが文責を一手に引き受けて「ビートルズ・レポート」が書かれたのです。

このような形で竹中労さんと言ったらビートルズと言われるようになるくらい、多くの人に認知されてしまうのですから、この功績というのは竹中労さんの仕事が素晴らしいからということはもちろんあるにしても、竹中チームを支えただけでなく、竹中労さんがビートルズについて書くきっかけを与えた河端茂氏や伊藤強氏の力もあったと言うべきでしょう。河端氏もすでに故人となっておられますが、その仕事とともに「ビートルズ・レポート」をプロデュースしたという点についてもしっかりと記憶しておくべき方だと思います。


竹中労さんの芸能記者活動とそれ以降のものは何が違うのか?

竹中労さんがはじめにジャーナリストとして席を置いたのが、「東京毎夕新聞」という会社でした。そこでスキャンダラスな内容を含む記事を書いていく中での葛藤について、ちくま文庫「芸能人別帳」の巻末に掲載されている関川夏央氏による文章にその記載があります。文章の中に竹中労さんへのインタビューも掲載されていて、興味深い内容が紹介されています。

当時の「東京毎夕新聞」社主であった田中彰治氏は多くの不正の追求をしながらも相手の懐に入り込み、巧みに金をせしめるということを普通に行なっていました。竹中労さんが苦労してものにした身延山の山林汚職のルポも活字にならず、田中氏はそのルポを身延山への恐喝じみた集金の材料として使ったのだという事です。それが直接竹中労さんが東京毎夕新聞を辞めた理由なのだということを関川氏に話しています。

竹中労さんは自分の功名のため記事を新聞に載せてほしいと願ったものの、あくまで社主は記事の原稿というものをお金を取るための材料としか考えていなかったことで、自分の書いたものを活字で発表したいという気持ちから会社をやめて一時フリーになります。その後「女性自身」のライターとしてスカウトされることで多くの芸能記事を書いていくわけですが、その中の取材対象者であるタレントとの神経戦のような交渉の様子が同じ関川夏央氏の文章の中に紹介されていて、今の芸能ジャーナリズムとはちょっと違う印象を受けます。

芸能人というのは今も昔も芸能記者との関係において、自分の事を良く書いてくれる人に対しては愛想よくしゃべるものの、それをそのまま記事にしたところでコアなファンはまだしも多くの読者が興味を持って読んでくれる内容にはなかなかなりません。昔も今も誰と誰がひっついただとか結婚、離婚、一般人とのトラブル、薬物疑惑などの渦中にある芸能人に対しては、いくら本人が喋るのが嫌でも、何かその件に関するコメントを取り、そこをまとめた記事にすることで読者が食いつく記事になっていくわけです。

今の芸能ジャーナリズムは写真や動画、はたまたSNSの記述の一部をそのまま公開することで、最悪直接芸能人に取材できなくても、事実の核心を付いた面白い記事を書くことができます。しかし、その反面、記事を出した媒体と当事者である芸能人との関係は最悪となってしまいます。多くの出版者がかなりの訴訟を抱えているのもその理由でしょう。そこまでしてでも媒体が売れれば良いという理屈で、決して言い逃れがきかない動画や写真を入手する手間やお金(本人の友人や家族を抱き込んで提供させる場合)はかかりますが、とにかくこうだと方針を立てたらターゲットを追っていきさえすれば、かなり興味深い記事に仕上げることが可能です。今の世の中は活字媒体だけでなく、動画もスマホを使えばその場で見ることができるので、内容を見た人からすると記事の信憑性はさらに高まるということになります。

そうしたいわゆる「突撃型」の取材方法でなく、竹中労さんが使ったのは、さらに綿密な周辺取材を本人に会うまでにこなして行くことによって、記事に載せたい内容自体を本人もしくはマネージャーの了承を取って書くという方法でした。例えば芸能人夫妻の離婚の原因について書きたいと思った場合、離婚とは直接関係ない本人の家族に関する良くない話や、決して表には出したくないような自身の性癖のような、本人が突かれると最も痛い点を取材の上明らかにしておき、まだその事は出さないで、まず離婚問題でここまで書きたいという申し出をします。

その時点でも十分な当時者に対する説得を行ない、奥の手を出す前に相手が条件を飲めばそれはそれで良く、どうしても頑なに拒否された場合に奥の手を出します。例えば、2016年の末に薬物疑惑と性癖をいっぺんにバラされて発作的としか思えない芸能界引退を発表した某俳優の場合、もしその俳優としての芸に竹中労さんが惚れ込んでいたら、噂通り薬物をやっていたとしたら自らの取材でその内容を明らかにさせる代わりに、性癖の点については一切書かないから、本当の事を話してくれと説得するような形になるでしょうか。もちろんその後の活動についても関係各所を駈けずり回って、一時的には干されるにしても再登場できるような舞台を設けるところまでやると大見得を切るような事まで本人説得の材料として話すのではないかと私は思うのですが。もちろん、そうした事をするから金をよこせというような事もしないでしょう。

芸能人になりたい人というのは今も昔も多くいるので、一人の芸能人の去就など取るに足らないので、バッシングを受けるような事をやれば干されてそのままサヨナラになってしまっても仕方ないと思う考え方もありますが、世の中の全ての芸能ジャーナリズムがそうした考え一辺倒になるようでは、今活躍している人たちはいつ自分のところに来るかということが気になることで、一向にテレビや映画を見ていても面白くない人だけが生き残るということにもなっていくでしょう。

というか、そもそも今の芸能ジャーナリズムに「芸」というものを評価する素地があるのかということすら最近は疑問に思えます。真に磨かれた「芸」を持った人までスキャンダル取材で再起不能にするような芸能ジャーナリストがいたとしたら、その人は自分で自分の首を絞めているとしか私には思えません。叩くだけの価値のある芸能人がいなくなったらどうするのと、当時者に問うたら、それでも自分が生きている間だけこの業者が残っていればいいとでも言う人がいるかも知れないのが恐ろしいですが。


竹中労さんとパチンコ その3 ギャンブルそのものを楽しめる「達人」

ここまで竹中労さんのパチンコとの付き合いについて、その特徴を挙げてみますと、台の種類はデジパチ、台に向かう時間は事のついでの数十分、さらにもう一つが玉を現金に換えないで全て煙草という景品に換えているということです。

最近では玉と現金を交換するのに2つの交換レートがあったりしますが、当時は一つのレートしかなく投資金額が回収金額を上回るくらい勝つことというのはよほど大当たりが続かないと難しいものでした。

しかし、景品に換える場合というのは2500発で1万円分が上限の景品という風にになっていて、煙草の場合はディスカウントして売ることのできない専売品として今も存在しているので、煙草一箱を現金として数えれば勝ち負けのボーダーラインはかなり下がることが予想されます。

ただ、竹中労さんの行なったパチンコの楽しみ方というのは「勝負」は「勝負」でも決してお金を儲ける事が目的ではなかったでしょう。これは竹中労さんのアシスタントの方に聞いたことですが、パチンコで勝って交換したタバコがたまっているのにさらにパチンコで勝っても同じようにタバコに換えてくるので自宅にストックされているタバコが増えるばかりで、その引き取り手を探すのに苦労していたこともあったそうです。そうなると、竹中労さんにとってはパチンコで金銭的にあぶく銭を得ようとする気は全くなく、さらに景品を取ること自体にもそれほど興味がなく、単純にゲームとしての勝利を求めるがためにやっていたのではないかという感じがします。

一番最初に紹介したパチンコ雑誌のアンケートでも、庶民の娯楽としてパチンコは生き残って欲しいという希望を竹中労さんは書いておられましたが、決して時間もお金も仕事に影響を与えるほどつぎ込むことなくほどほどに楽しむことこそがパチンコの奥義であるのだとは良く言われるところです。何の知識もなくパチンコ屋さんに通い続け、数十万の負け分を取り戻そうとして数百万の負けになるようなケースは、お店にとっては実にいい「お客様」で、パチンコと付き合う中でも最悪のパターンでしょう。

ただ今後、そんな「いいお客さん」がさらに奈落の底につき落とされるケールが発生する可能性が出てきました。日本でもカジノをどうしても作りたい人がいるらしく関連法案が国会を通って将来のカジノを含めたリゾート計画が現実のものとなりつつありますが、もしそうした流れを受けて作られたカジノで、スロットマシーンがいつでもできるようになったとしたら、パチンコで数百万負けた人がその負け分を取り戻そうとして数千万以上なんて考えたくもない程の負けに急速に到達してしまう人が出てくるかも知れません。

この国は、競馬で勝ったお金にもその額が膨大になるときちんと収支報告をしなければ税金を取るような事をする国なのですから、公営をはじめとする国が主導するギャンブルというのはどちらにしても国にお金を貢ぐようなものです。その中でもパチンコは庶民のギャンブルと言われたのですが、それでも勝ち続けるのは容易ではなく、昔から決まった店をねぐらに生活費を稼ぐパチプロと呼ばれるような人でも毎日続けて勝つことはまれで、何とか月のトータルで十数万勝てるかどうかという厳しさを受け入れて毎日の収支を計算しながらパチンコをしています。私自身も一時期パチンコにはまったことがありましたが現在は以上のような理由からギャンブルの世界からは足を洗っているのですが、それは一度はまるとギャンブル依存症にまっしぐらになってしまうかも知れない恐怖の裏返しでもあります。

改めて竹中労さんのパチンコとの付き合い方を見ていくと、凡人だと大勝ちすれば現金に替えてしまいたくなるところ、あくまで景品を取るだけと割り切るところなど賭け事の恐さと面白さを良く知っている達人だと私には思えます。このような才能は凡人ではとても真似ができるものではないので、くれぐれもギャンブルにはまって現在の日本の特権階級の懐をあたためるような負け方をしない程度に楽しめないなら、一切手を染めないのがいいかと思います。


竹中労さんとパチンコ その2 良い台を見分ける竹中労さんの秘訣?

前回はスロットマシンを回すように数字を回転させることで大当りを出すデジパチに絞って竹中労さん独特のパチンコ必勝法について考えてみましたが、この種のパチンコ台はお店の方で不正に確率の偏った「裏ロム」を使っていない限り、どの台も当る確率は同じなはずです。その確率については台のスペックを紹介しているものを見れば、通常時と確変時の確率が表示されています。ただ、その確率通りに行かないのがパチンコというゲームの面白いところで、大ハマりする台があるから出まくる台も出るという風に考えると、台をお客の立場で見分ける方法は一つしかありません。

それは、同じお店でオープン時から入り、全ての台の大当たりデータをチェックして、どの台がどのくらいの頻度で当っているのか、まだ当たりが止まっていない台はどれか、そろそろまとめて出てきそうな大ハマりの台はどれかなど常に大当りデータについての情報集収をした上で出る周期になっていると思われる台ばかりを狙うことです(そこまでやっても確実に大当りが出る台がわからないことも当然あります)。

これは、ふらっとお店に来て適当な台に座ってもわかるはずもなく、一つ考えられることは既に竹中労さんがそのお店をねぐらにしているパチプロや店員に顔が効き、まだ出そうな台を教えてもらっていたか、初めて入る店でもルポライターとしての取材よろしく世間話などしながらそれとなくお店の主らしい人間とコンタクトを取り、その上で座る台を決めているのではないかと思うわけです。

どんなお店でも普通に座って打つよりも確率が高い台を選ぶためには当然竹中労さん自身の長年のカンというか経験に基づく行動というのもあったと思いますので、あらゆる台についての情報を収集しながら、できるだけ負けない台を狙うということがどこでもできていたのが竹中労さんのパチンコとの付き合いだったのではないかと私は考えます。

さらに、一回のパチンコにかける時間が短いという事も忘れてはいけません。良い台を長時間打ち続けたとしても倍々ゲームで儲かるものではない事もデジパチについては言えます。短時間でドル箱を複数出してもそこで止めないで続けたがゆえに、出した分以上につぎ込んでしまったという事を経験した方なら、短時間にさっと儲けて帰っていく竹中労さんの打ち方には勝負師としてのものを感じたのではないでしょうか。

ただ、そんな竹中労さんでも投資額以上にはまってしまう事も無いとは言えません。元々パチンコは景品をさらに現金に交換する中で中抜きされるということがあり、お店や交換業者にも利益が上がるようなお客に不利な条件で勝負しているわけですから、めったに負けないという事が真実であったとしたら、竹中労さんはインチキをして玉を台から抜いていたのではないかという疑惑も出てこようというものです(^^;)。

次回はさらにもう一つ、竹中労さんのパチンコに対するポリシーから勝ち続けられる秘訣ではないかと思える事について考えてみたいと思います。(つづく)