私的コラム」カテゴリーアーカイブ

ここでは、竹中労さんについて自分が思うことなどをコラム形式で書いていく予定にしています。

竹中労さんが吉本隆明さんに返した「死ね死ね団」とは

最近のtwitterを見ていると、過去に竹中労さんが吉本隆明氏と行なった論争の中で、何かにつけて「死ね」という言葉を連発する吉本隆明氏に対し竹中労さんが言い返した言葉が出てきます。曰く「死ね死ね団みたい(^^)」(注・顔文字は筆者が付けました)というのですが、おそらく多くの方は「死ね死ね団」とは何かということはご存知かと思いますが、当時の吉本隆明氏は娘さんの吉本ばななさんに説明してもらわないとわからなかったのではないでしょうか。こうした返しができるのは実に面白いですし、今になっても評価できるような事にもなります。

わからない方のために一通り説明しておきますと、この「死ね死ね団」とは、竹中労さんのフィリピンでの日本兵の遺骨収集活動に理解を示し資金を提供したということでも知られる作家の川内康範氏の原作による「愛の戦士レインボーマン」の敵として描かれる軍団のことで、なぜ悪の軍団やゴジラまでもが日本だけを狙うのかという理由を明確にした組織だと言えます。恐らく竹中労さん自身が好んでテレビを見ていたかはわかりませんが、竹中さん周辺の若いスタッフが番組を見ていて気に入ったのではないかと思うのですが、本当のところはわからないものの、実際使っているんですからよくドラマも見ていたんでしょうね。

というのも、この死ね死ね団という組織は過去の戦争において日本軍に苦しめられた人が中心になって興し、とにかく日本という悪魔の国を粉砕するという、今で言うと北の将軍様か徹底的に反日の活動を続ける隣国の国々でまだ活動しているのではないかと思われる本当に実在しそうな組織なのです。

ここまで来て興味が出てきた方は、恐らくYouTubeで「死ね死ね団のテーマ」と検索すればオリジナルのテーマ曲が聴けると思いますので、そのあまりにも強烈な歌詞を味わっていただきたいのですが、なぜ今「死ね死ね団」なのか、不思議に思われる方もいるかも知れませんが、維新の会の国会議員の方で「朝日新聞 死ね!」と書いて炎上商法をしている人がいるのです(個人名についてはその方を利する可能性もあり、さらに時間が経過することで忘れ去られる可能性もありますのでここでは敢えて書きません)。

その方はいわゆる左寄りの論客やメディアが大嫌いなようですが、そうした言葉遣いを基本的にするということは、竹中労さんからすればその方も「死ね死ね団」の日本支部で、吉本隆明氏のような運動方針を肯定して行なっているわけで、運動方針的には大嫌いなはずの左寄りの思想人や隣国の運動方針に憧れを抱いて「死ね」を繰り返しているとすると、究極的にはかの国のスパイの可能性もあったりして(^^;)。

つまり、左右に限らずどんな思想であってもその行動に責任を持たないと、いつの間にか「死ね死ね団」の構成員として取り込まれてしまう可能性があると言えるでしょう。特に今のネット社会というのは「死ね死ね団」の構成員と思われるような書き込みであふれているわけで、個人的には左右関係なく「死ね死ね団」の構成員と思しき人々は、議論をしようとしても「死ね!」と返されるわけですから、どうにもならないわけです。

その点については簡単に「死ね死ね団」の構成員かそうでないかは見分けられると思いますので、それなりの地位に付いてしまっている問題の人物については何らかの処置が必要かとは思いますが、ネットの書き込みぐらいでは日本は征服されないと思いますので、基本的に放置がいいのではないでしょうか。


竹中労的「選挙必勝法」?

またぞろ、選挙の季節がやってきました。衆議院を解散して野党から浴びせられる非難については耳も貸さず、対抗として野党第一党の民進党のスキャンダルが噴出し、さらに自民党よりも右側の思想の人が集まった「希望の党」に多くの議員が引き抜かれるなど、野党連合がガタガタになりそうな中、一気に解散総選挙を選んだ安倍自民党の動きというのは批判は大いにあるにしろまさに電光石火のごとく見事なものでありました。

このままでは自民党が議席を奪われるのは主に「希望の党」に限ってのことになるでしょうから、選挙の後の国会では「自民党」「公明党」に「維新の党」という今までの連合に「希望の党」が加わり、安倍自民党とは意見を異にする野党の言動は全く届かないほどに勢力を落とし、保守勢力は今まで以上に好き勝手を行なえる環境が整うでしょう。

そうなれば憲法は保守勢力の都合のいい方向にのみ向かって改正され、日本の状況はさらに反体制勢力にとっては厳しいものになっていくに違いありません。そうならないようにするには、今の世の中では選挙で勝つしかないのですが、具体的にどうすればいいのかということについては、すでに答えは出ています。

たまたま過去の竹中労さんの書いたものを読んでいたら、ちょうど当時の社会党が参議院選挙で「山が動いた」ことで大勝した後の体たらくについて書いた文章を見付けました(ダ・カーポ「テレビ観想」第十二回 夢坊主辻説法(2)社会党パチンコ政権のゆめ!?)。今回はその内容について紹介しながら、反自民勢力が早めに仕掛けた自民党に一泡吹かすためにはどうしたらいいのかということについて考えてみたいと思います。

まず、当時の社会党がその支持のよりどころにしていた「連合」との決別を勧めています。

(引用は上記ダ・カーポの連載からです。以下引用)
——————————————————————————–
少なくとも、労働組合のヒモツキであるかぎり、社会党は永久に半身不随の跛行を続けねばならない。戦後階級構造の変容に対応できず、若者の心を捉えるユトピアを描くこともできない。“革新”を保守する(誰のために?)、逆説的ジレンマに落ちこんでゆくのみである。
——————————————————————————–
(引用ここまで)

まず民進党が行なわなければならない事は、すぐには無理でしょうが、将来的に労働組合に頼らないという「しがらみからの脱却」であることは間違いありません。他の党が「連合」からの支持が欲しいならくれてあげればいいだけの事です。確かに組織からの支持は一時的な票数は伸ばしてくれますが、同時に組織が行なうことは、その見返りを党に求めることです。そんな形で民衆の必要とする政策より組織からの要求を満たしてしまうなら、やっている事は単なる利益誘導になり、自民党と変わらなくなります。

そして、多くの現政権に素直に政治をまかせられないと思った人の中には、議論の途中で強制的に話を打ち切り、強行採決と野党の人たちが呼んだような「多数決にこだわった政治決定」に不安をおぼえたのではないでしょうか。その後、多くの政権に対する疑惑について話を向けても、一切まともに答えようとしない中、疑惑は解決したとされてしまうのも同じような数の論理であると思えることも多いでしょう。

こうした強引な国会運営が許されるというのは、どれだけ少数の野党が抵抗しても、最終的に衆議院の多数を与党が占めていて、絶対に揺るがないという自信があるからに違いありません。そうなら、選挙で勝って数をひっくりかえすか、そこまで行かなくとも議員の数を拮抗化することで、野党が力を持つことであると言えるでしょう。

そんな中、もう一つ竹中労さんがおすすめしている選挙必勝法があります。この方法については羽仁五郎氏や大杉栄氏の言葉や書いたものまで抜き出して紹介しているので、かなり昔から言われてはいるものの、なかなか行なうことができない方法です。と言っても話は簡単なのですが、まずは竹中労さんはこの文章を書いていて目にした1989年の京都市長選挙の結果について触れています。

(ここから引用)
——————————————————————————–
例えば、京都市長選挙を見よ。社会党は単独で惨敗をした、衆議院でも枕を並べて討死? そりゃアベコベ、共産党こそ京都最強の野党、自民党に三百二十一票差まで詰めよったのである。
社共連合を組めば圧勝疑いナシ、民衆の選択は賢明であり、愚かなのは統一戦線をずっこけた地元社会党だった。
——————————————————————————–
(引用ここまで)

選挙の結果についてはインターネットで調べることができますが、その当時の選挙では9人が立候補していますが、まさに竹中労さんが書いている通り、共産党が推薦した木村候補を社会党が応援していれば321票というのはまさに誤差とでも言うべき差でもありますし、確実にこの選挙を勝つことができたでしょう。当時は同じ革新でも共産党とだけは組みたくないという感情を強く持った人が多かったのでしょう。しかし、そうした面子にこだわるような人達に党が支配されているのだとしたら、全てが市長選と同じ一人区である衆議院選挙で勝てるはずはないのです。

この点については竹中労さんは自らの言葉ではなく、羽仁五郎氏と大杉栄氏の言葉を紹介していますので、その言葉を紹介します。

(引用ここから)
——————————————————————————–
故羽仁五郎、かく語りき。「議会政治とは一種の賭博である。自民党を倒すことは簡単だ、選挙で最大の野党に票を集めれば、情況は一夜で変わる」「倒してからどうするだって? 愚問だよキミ、それはそのとき考えればよい」
(中略)
アナキスト大杉栄いわく、「統一戦線の綱領はゆいいつ、敵目標の一致であって、思想や主義の統制ではない」(トロツキー『統一戦線論』批判)。
——————————————————————————–
(引用ここまで)

2017年現在の状況は自民党の一人勝ちとなっており当時とは状況が違うものの、反自民の意見を持つ人が投票できる候補を全ての地区で作ることができなければ、対決にすらなりません。そういったことは、改めてここで書くまでもなく過去の小選挙区の選挙結果を見れば明らかで、こんなかんたんな「算数」が理解できないまま野党勢力を分断する形で候補者を擁立する党というのは、もし政権を取ったとしても「予算」の計算すら出来ないのではないかと皮肉の一つも言いたくなると言うものです。

今回の選挙について、直前に小池百合子氏を党首にいただく「希望の党」が出来、各政党から新党に移る人達が出て来たことは、かえって反自民を掲げる人達にとっては好都合に作用するのではないかと思っています。私自身は小池氏の人となりを詳しく知っているとは言えないかも知れませんが、たまたま見たテレビ番組での様子によって、どんな性格の人であるかということが、テレビの画面を通じて強烈に伝わってきました。

そのテレビ出演が面白かったのは、番組は生放送ではなく、後から都合が悪いと思っていればいくらでも訂正させることも可能なテレビ東京系の「開運なんでも鑑定団」で起こったエピソードであるということです。小池氏は自信満々にお気に入りのペルシャ絨毯を鑑定に出しました。希望価格こそ10万円と控えめでしたが、鑑定の結果として80万円と希望額よりかなり上がったのにも関わらず、鑑定をした人に延々とクレームを付け続け、納得しないまま鑑定のコーナーが終了してしまいました。この番組でこんなにごねて自説を曲げなかった人を見たのは初めてだったので、ちょっと番組を見続けるのがつらくなってしまったことを覚えています。

鑑定士の方の説明では、小池氏の持って来た絨毯はイラク王国がイランに発注して織らせたものではないかとの見立てだったのですが、鑑定前まで小池氏はこの絨毯はイラクで織られた珍しいものだと堂々たる主張をしていたこともあり、自分の見立てを全否定されたことに我慢がならなかったのだろうと思われます。

個人的には番組を見ていて、かなり評価額も高かったですし、正式な鑑定というよりもテレビのバラエティ番組の事なので、笑ってそのままありがとうございましたで終わった方がよっぽど有権者への印象も良くなったのではと思うのですが、この方はとにかく自分の意見と違った事を言う人を許せない人なのだなと感じました。ちなみに、私が見た放送は、地上波による本放送からかなり後に再放送されたBSでのものだったので、小池サイドが都合が悪ければ申し入れて再放送させなくする事もできたのではないかと思えますが、これも恐らく小池氏サイドは地上波のバラエティ番組での事だからと高をくくっていたのかも知れません。

ともかく、個人的には小池氏の人となりとして、他人の言う事はなかなか聞いてくれなそうな自分の好きな人物とお見受けしているので、今後の希望の党に参加した多くの議員も、小池氏が政界でのし上がるためのコマとして使われるだけではないかと、折角移ってきた方には悪いですがそのように思えてしまいます。

恐らく、このように考えても実際に反体制の戦いを実行できない可能性の方が今回も大きいのではないかと思っているので、残念ながら状況は悪くなることはあっても良くなることは考えにくいでしょう。ただしっかりと基本を抑えて反体制の戦いを律儀に行ない続けることで、状況は変わってくる可能性はあります。そんな先人の知恵を生かすことは今後実現できるのでしょうか。

(2017年9月28日追加)

ここ数日で政党間の駆け引きで状況が変わってきたこともあるので、補足的に書いておきます。先に挙げた労働組合の「連合」が裏で糸を引いたかのような報道もありますが、民進党党首の前原誠司氏が小池百合子氏の立ち上げた新党とまるまる合流するという流れになっています。

そうなると、民進党の中の自民党的な考え方に近い人達は自ら進んで新党に合流することだけは確かでしょう。当然ながら支援団体の「連合」も新党の支援に回るはずで、竹中労さんの言う「労働組合のヒモツキ」状態から逃れられるとホッとしている方もいるのではないでしょうか。

また、民進党が新党に合流する理論として、ここで羽仁五郎氏や大杉栄氏の言ったり書いたりしたことになぞらえたもっともらしい事を言っていますが、その言が本心からなのかそうではないかということは、選挙の終わった後に徐々に明らかになるでしょう。

新党が自民党の補完勢力であるとしたら、二大政党になるか大連立になるかはわかりませんが、自民党と新党がくっついて、徹底的に反体制派を潰しに来ることも考えられます。その時こそ、多くの人がどちらの制作がいいのかということを単純に比較して判断できるような選挙になるでしょう。残念ながら、今はまだその時ではないと言えると思います。

問題は、今の保守勢力に異議を申し立て批判する一同が、いかに我慢して将来の勝利のために地を這いながら地道な努力をすることができるかということにかかってくるのではないかと思います。選挙の時期になるとどうしても勝ち馬に乗って楽に勝ちたいと思ってしまうのは人情です。しかし、逆境の時に誰に従い何をしたかということは必ず後には報われると信じてやるしかないでしょう。

竹中労さんもあれだけ革命を夢見ながら事が成らずに終わってしまったわけですし、少なくとも歴史を紐解いた時に「悪宰相」だとか「平成の裏切り者」などと揶揄されないような行動を取っていただきたいと、良識ある方に向けて今後とも訴えていきたいです。


竹中労さんの命日に寄せて

本日2017年5月19日は竹中労さんがお亡くなりになってからまる26年ということになります。その日に生まれた子が一端の社会人として活躍しているような年月が経ってしまったわけで、実際に竹中労さんをテレビでリアルタイムに見たり、実際に講演などを聞きに行ったりした人の中では、恐らく「たまの本」の読者の小学生あたりが最年少だと思いますので、少なくともアラフォー世代くらいにならないと直接竹中労さんの事を知らないということになります。

さすがにこのブログを読みに来て、竹中労さんのことを知らない方はいないと思いますが、なぜ竹中労さんは亡くなってかなりの年月が経った後でも今だに語られる人であるのかということについて、命日であるこの日に考えてみようと思います。

まずは、私がこのブログを立ち上げたコンセプトを見てもらえばおわかりかも知れませんが、この竹中労という人は一律に「こんな人だ」という風に割り切れないところがある人だということがあります。

「たまの本」で初めてその名前を知った人にとっては、単に深夜放送のグランドチャンピオンに過ぎなかった「たま」というバンドを、そのような音楽に理解があるとも思えない上岡龍太郎さんにまで「たまの本」を読むと番組内で言わせしめるほどの社会に対する影響力がある音楽プロデューサーとも音楽ジャーナリストとも思えたかも知れません。

ただ、竹中労さんが「たま」の事をプロデュースまがいに応援するようになったきっかけというのは、単に他の人と同じように深夜放送を見ていて、そこで見たことをもとにして雑誌「ダ・カーポ」の「テレビ観想」という連載に書いたことがきっかけになったに過ぎません。

ルポライターと初めに称したのが竹中労さんということで、今でも読まれる数多くの本があり、竹中労さんを物書きと思っている人もいるでしょうし、またある時は政治や社会に対して大きな色で物を言うコメンテーターであり、さらには過激派の黒幕と思っている方もいるでしょう。

竹中労さんはそうした様々な肩書を嫌い「よろず評判家」と自分の事を称しましたが、私がそうした竹中労さんの姿勢を見て思ったのは、自ら発信する言論人ではあるものの、その立ち位置としては決して上から目線ではなく、テレビを見たり音楽を聴いたり、新聞や雑誌を読んだりする人の側に立った立場で発言をしているということです。

話は「たま」の話に戻りますが、音楽プロデューサーと言えば、実際に作詞作曲をしたり演奏の経験があるなど、それなりの音楽に関わる経歴がなければ大きな声で物を言うのは難しいのではと思うのですが、ぱっと見どう考えても演奏家でも歌手でもない竹中労さんが技術論など関係なく「たま」の音楽性を賞賛し、世間の多くがそれに追随したのはなぜなのでしょう。それは、過去にインテリ左翼が「物笑いの種となる」と軽んじたと言われる美空ひばりさんを早くから絶賛し、あのビートルズについても、まだ海の物とも山の物ともつかないうちから評価し、それがどちらも素晴らしい音楽家であるという事が広く定着したからに他なりません。

つまり、音楽を楽しんでいる中でその評価をする場合、決して楽器ができなくても、人の前で唄を歌って評価を得なくても、優れた耳と感性さえあれば他人の意見に迎合することなく大きな声で主張することができるということを私に教えてくれました。

私自身音楽の専門家ではありませんが、自分の好きなものを好きだと声高に語らせていただけるのも、こうした先達の方がいらしたおかげです。さらに竹中労さんはその博識さで、音楽の話をしながらでもそれがいつの間にか社会全体の話としてまとめられ、時空をこえた形で全面展開される時の竹中労さんというのは、実に話が面白く、その内容は今もYouTubeで見ることができます。

そんな竹中労さんの素養の中で私が大変羨ましいのが、経歴の中でいつ勉強したのかと思われる漢文に関する知識です。最近読んでいる「にゃんにゃん共和国」の中でも中国の漢詩の一節から現代にも通じる道理を導き出すような記述が見られますし、こうした竹中労さんの書いたものを読むだけでも、現代の私たちにも漢文の知識および中国の古典を学ぶことの意義というものを感じるわけですが、最近の中国と日本の関係の中で本来は関係ないはずの優れた中国の古典を学ぶ必要なしと切り捨てる方もいて、そんなニュースに触れるたびに竹中労さんの文章を逆に思い出したりしてしまいます。

竹中労さんは常々、「状況分析は悲観的に、運動方針は楽観的に」ということをおっしゃっていましたが、まさに未来を展望する中において、こうした状況分析と運動方針について考えつつ、今いるところから少しでも進んでいく努力をすることが必要であるなと思います。このようなブログでも、確実に書く内容について好きなことは書けないようになっていくのかも知れませんが、自分で書きたいことを制限のある中でいかに表現していくかということも考えながら、今後もブログを更新していこうと思っています。毎日更新するようなブログではありませんが、今後ともどうぞよろしくお願いします。


単行本「竹中労の霊言」は発売されるか?

それまでのテレビや新聞・雑誌による報道のみで判断するような時代とは違い、現在はネット上に挙がっている情報から問題提起される事象も増えてきました。その最たるものが「芸能」についてのものでしょう。

それこそ芸能スキャンダルについては過去に竹中労さんが出したような大手芸能プロダクションがタレントに払った給与明細や、自分の取材に対して妨害を仕掛けてきた車のナンバーまでまで単行本に載せてしまうような力技で正面から戦ったことはあったものの、その内容についてはコアなファンを除いてはほとんどの一般人に知られないまま大手芸能プロダクションはますます力を堅持して現在に至ります。

そんな中、ここ数年来はネットから火が付く形で雑誌が後追いしたものをテレビが追いかけるような形での「芸能プロダクションの闇」に関する情報を、多くの人が知るようになってきてきます。

本来はSMAPの解散騒動や「のん」(本名は能年玲奈さんだが事務所の意向で芸能活動に使用できないそう)さんについての報道について、芸能レポーターの中でタレント側に寄り添う形で伝えるような気骨ある人間がいれば、その状況も多少は変わったのではないかと思うのですが、今の芸能リポーターの方々は相変わらず自分の身を守るためなのか大手プロダクションよりのご意見をマスコミはより多く垂れ流す格好になり、そのストレスのはけ口としてネットで盛り上がっているようにも思います。

未来を展望しても、なかなか旧来からの力を放り出すようなことはしない芸能プロダクションの牙城を崩すような勢力というのは出てきそうにないかなと思っていたところ、新たにこうしたタレントと大手芸能プロダクションとの争いに、宗教を生業とする「幸福の科学」が割り込んできました。女優でタレントの清水富美加さんは幼いころからの信者で、今回所属するプロダクション(「のん」さんと同じ事務所)のマネージメント手法により体調を崩したことにより、芸能界を引退して新たな名前を持ち「出家」すると発表したことが騒動になっています。

恐らく、教団側が新たな名前を先に公表したことは、「のん」さんのように本名で活動することを封じてくるかも知れない所属先に対する牽制のような気もしますが、今後は清水さんの後ろ盾に教団がなり、代理人の弁護士を立てて争うことになるでしょう。

幸福の科学と関係する「幸福実現党」は国政選挙において必ず地域ごとの候補者を立て、供託金を没収されても次の選挙に出るくらい資金力のあるところです。今までは仕事を辞めると映画やドラマ・CMのスポンサーから違約金が発生するということを前面に押し出して、活動を辞めたいと直訴したり独立を狙う所属タレントを説得するための材料として使ってきたかも知れませんが、今回のケースに限ってはそうしたロジックは通用せず、逆に大手芸能プロダクションはブラック企業ではないか? というような話で教団側は争ってくると思われます。

また、幸福の科学主宰の大川隆法氏はさまざまな人の守護霊や、すでにこの世にはいない人の霊を呼び出してその言霊を本にまとめて出版するような事をやっているので、今回の争いの動向によっては、誰かの霊を呼び出してプロダクション側の痛いところを突くような本を出してくるという可能性もあります。ちなみに、今回の清水富美加さんに関しては少し前に彼女の守護霊を呼び出してインタビューしたという「女優・清水富美加の可能性」という本が出ています。

普通に考えて大手プロダクションが一番嫌がる芸能界についてのレポートを書いていた人ということでリストアップすると、当然竹中労さんの霊ということになるかも知れませんが(^^;)、そこで誰を幸福の科学がリストアップするかということも、もしこうした本を出すのだったら注目したいと思います。知らないうちに「梨元勝の霊言」というような感じで出すようなら、教団はそこまで竹中労さんのことを評価していないということが改めてはっきりしますし、もし本当に「竹中労の言霊」という題名の本が出たら、その本に出てくる竹中労さんの霊は本物なのか、単に竹中労さんに憧れた普通の人が竹中労と称して降りてきた霊に過ぎない内容なのか、その内容をここで検証してみたいですね(^^;)。


「水道橋博士」は韜晦しているのか?

2016年は、10月に山梨県甲府市で竹中労さん没後25年ということで多くの人を集めてのシンポジウムが開かれました。その様子については様々な所で活字になったりネット上に感想もちらほら挙がっていますが、タレントの水道橋博士(敬称は略させていただきます)が当日の飛び込みのような形でパネリストとして参加したことで、大いに注目を集めました。

その席上において、少々以前の記憶が曖昧になっている鈴木邦男氏の発言を的確にフォローしたり、当日水道橋博士を呼んだ女優の樹木希林さんから竹中労さんの評伝を書けと言われ、当初は断っていたものの会場の雰囲気にほだされたのかすぐではないにしろ書く方向でという感じで宣言をなさったように私には見えました。

シンポジウムには水道橋博士がバイブルのように読まれているのかと思われたみき書房版の「ルポ・ライター事始」に沢山の付箋を挟んだものを持ち込み、その思いの丈を真剣に話され、さらには感極まったかと思われるような一瞬もありました。やはり多くの人を前にして話したり議論をされたりする方は、下調べもちゃんとして日頃の勉強も欠かさないのだろうなとその時は思いました。

その後しばらくして、水道橋博士の姿をテレビで見る機会がありました。平日の午前中にNHK BSプレミアムで放送されている過去の番組を紹介する「プレミアムカフェ」という番組で、あの照屋林助さんを特集した番組「ハイビジョン特集 沖縄 笑いの巨人伝」の再放送がありました。

その週は「笑い」をキーワードに日ごとに過去の番組を放送していたのですが、お笑いということでなのか、番組の最初と最後にNHKのアナウンサーと一緒に出てくるゲストが水道橋博士でした。

放送日と収録日の関係があるので、恐らく竹中労さんのシンポジウムより前の収録であることが感じられましたが、水道橋博士は以前から事あるごとに竹中労さんについての発言をメディアでしていましたし、何といっても沖縄の島唄(THE BOOMの曲名ではなく奄美や沖縄地方の民謡を総称した言葉)をレコーダーによって収集していたことが竹中労さんの奄美・沖縄のレコードを出された仕事と共通します。さらに、林助さんが大統領だった「コザ独立国」では、竹中労さんは鎌倉大使(当時は神奈川県鎌倉市に竹中労さんが住んでいたことからの命名)も名誉職ではあるもののされているほどの関係があるので、水道橋博士が何を言うのか、ちょっと期待しつつ番組終わりのトークを聞いたのですが、そこで水道橋博士の口から出てきた言葉に大ゲサではなく、しばし唖然としてしまいました。

開口一番出た話が、「島唄」という言葉について、水道橋博士はそれまでTHE BOOMの曲名だと思っていたと発言し、沖縄民謡全般のことを島唄ということにびっくりしていたという話でした。さらに、番組最後の方に出てきた現代の琉球フェスティバルにおいて、演者が聴衆と一緒にカチャーシーを踊る姿を真似るように両手を上げて踊る仕草を見せて、それを「エイサー」と言ったのにはさらにびっくりしました。

普通に考えると水道橋博士には全く沖縄や奄美(当然宮古や八重山にも)に関する知識が全くなく、竹中労さんが沖縄で何をやってきたのかということを書き記す以前の状態なのではないかとコアな竹中労ファンに思われてしまいかねません。しかし、水道橋博士はお笑い芸人であり、受けを狙ってわざと無知を決め込んだのか? という疑念も拭うことはできません。

それだけ甲府市でのシンポジウムの時には竹中労さんの著作を再版して欲しいという発言もしながら竹中労さんについても相当熱く語ったのですから、まさか竹中労さんをあれだけリスペクトする人が、後年文庫化もされた「琉球共和国」をはじめとする島唄に関する著作があることすらも知らなかったような態度を取ることは何か理由があるのではないかと私には思えるのです。

このエントリーは恐らく2016年最後のエントリーになると思いますので、2016年のうちにこのもやもやした想いだけは書き記しておこうと思いまして、こんな文章を書かせていただきました。個人的には水道橋博士の書く竹中労さんの評伝には大変期待しています。私のちょっとした危惧が杞憂に終わるように祈りまして2016年の更新を終わらせていただきます。

(追記)

私自身は芸能界とは全く縁もゆかりもないので、詳しい内情は全くわからない中で上記の内容を書かせていただいたのですが、最近のテレビを見ていて水道橋博士の言動と似たような感想を持った事がありました。

日本テレビの「月曜から夜ふかし」という人気番組がありますが、番組名の通りつい夜ふかしして見てしまうのですが、その中で紹介された千葉のスーパースター「ジャガー」さんと語る女性アシスタントがすごい! というあおり文句に興味を持って見ていたところ、その女性アシスタントとは業界では十分に知られていると思われるフリーキャスターでタレントの田中美和子さんだったのでした。

彼女については改めてここで語るまでもなく、ニッポン放送のお昼の生ワイド番組「鶴光の噂のゴールデンアワー」で、笑福亭鶴光さんの相手役を立派に務めるだけではなく、その上を行っているのではないかと思えるくらい面白い話術で番組を離れた今でも熱狂的な信者がいます。

私自身はラジオで聞いていただけでしたが、実際にテレビの画面でジャガーさんと対時する中できちんとテレビカメラを意識してしゃべる姿は、ラジオの時と比べても全く衰えていないと感心することしきりだったのですが、番組のMCである二人は全くこの事を知らないという体で番組はそのまま進行して終わってしまったのでありました。

考えてみれば、そうしたウンチクのような知識をインサートしても若年層には何だかわからないですし、単にジャガーさんの隣で喋っていた女性が面白いということでいいのかも知れませんが、面白さというのはどういう経歴から生まれたのかという事を知れば、それはそれで注目が集まるしいい事もあるのではないかなと思うのですが。それとももしかしたら、知っているのに敢えてその内容を人に知らせないで情報がネットから上がって盛り上がるのを待つような手法があるのかも知れませんね。

ちなみに、先日集英社のkotobaという月刊誌で水道橋博士のインタビュー記事が載っていて、自分の意志として本当に竹中労さんの評伝を書いてみたいということを活字にしていました。想いを活字にするということは相当な決意だと思うので、改めて期待したいものですね。

(2017.5.16)


竹中労さんがインターネットを使っていたら? その3 ネット荒しへの対応?

インターネットに関するいざこざというのは古くはパソコン通信の世界から存在し、実際に面と向かって話すのとは違い、匿名で発言できるだけでなく、感情の赴くままスマホから直に発信してしまう事ができるようになったことで、騒動の種は増えるにしても減ることはないでしょう。

インターネットにいくらかの意見を発表するにあたり、活字媒体しか広く世間に訴えることができる手段がなかった時代とは違い、誰でも自分の意見を発表することもできますし、そうした意見に対する反論を述べることもできるのですが、その反論の内容がどんなものかによってまともに回答しようと思うのか、ネットから反論をする人の多数がこんなものかとネットへの発信自体に幻滅するか、それは発信する人のネットというものへの認識によって変わってくるかとは思います。

これから紹介するのはネット上の事ではありませんが、元・現代の眼の編集長、丸山実氏が新たに起こした月刊誌「新雑誌X」を助けるために、原稿料なしでもと書かれたコラムの中の一つ、「音曲・風見鶏(ウェザーリポート)」で、竹中労さんのペンネームでもあった夢野京太郎名義で書かれたものです。

連載は2回目まで順調に進みましたが、その2回目の内容に異議を唱えるような読者からの投書がきっかけになり、夢野京太郎が執筆を降り、それを竹中労さんがとりなす形で第3回目が書かれたものの、以降「音曲・風見鶏」は復活することはありませんでした。個人的には竹中労さんの書く音楽コラムが読めなくなったことは大変なショックでしたが、あくまで「夢野京太郎」の筆という設定の読者を叱り飛ばす文章に、さらに竹中労さんに対する興味が生まれたのも確かでした。

では実際のところ、どんな投書があったのかと言いますと、改めて竹中労さんが紹介する投書の内容を見ていくと、現代のネットにおけるコメントでブログの元発言に対してご意見を挙げる内容に似ていて、「真梨邑ケイ、FTV深夜番組の司会をやってるコ、ジャズ・シンガーだったのねあれ」という夢野京太郎名義の文章に対しての反応がこんな風に返ってきたのです。

【FTV深夜番組というのは、「オールナイト・フジ」のことでそうだとすれば、司会をやってる女の子は、秋本奈緒美なるジャズシンガーです。ちなみに、彼女の歌は確かに未熟だが下手ではありません】

この投稿者が指摘するように、当時のフジテレビの深夜番組に出ていたジャズ・シンガーということになると、多くの人に知られていたのは「オールナイト・フジ」の秋本奈緒美さんであり、これはもしかしたら竹中労さんが勘違いをしたのかと私自身も思ったことは確かです。しかし、元の竹中労さんの文章を読めばおわかりの通り、竹中労さんは具体的な番組名を出しているわけではなく、単にFTV(フジテレビ)の番組としか表記していません。

ネットでもこうした微妙な言い回しに対して、「フジテレビの深夜番組とは「オールナイト・フジ」のことですか?」と聞くことをしないで、「あのおじさん、もうろくしてるのか秋本奈緒美と真梨邑ケイの区別が付かないでやんの」というように尖った反応をする人は少なからずいるでしょう。さらにひどいのになると、竹中労さんが左翼であることを言っていることに対して拒否反応を示し、アナーキストも日本共産党も赤軍も中核派や革マル派も、日教組も全て同じ穴のムジナだと思考停止をしたかのような糾弾を繰り返したりするかも知れません。

この投書に対して竹中労さんの書く夢野京太郎さんは案外きちっと反論しています。

「真梨邑ケイも以前に、FTVの深夜番組に出ていたことがある。調べもしないで、半可通なことを言うな。未熟はつまり下手、ヘタだが将来性はある・ということは間々あっても、未熟だが上手だということは断じて、ナイ」

今さらですが、ここで話題になった秋本奈緒美さんはどうなっているかというと、ジャズシンガーだったことを知っている人はいるかも知れませんが、今ではすっかり2時間サスペンスドラマでおなじみの女優さんとして活躍なさっています。真梨邑ケイさんについてもジャズシンガーの肩書は外してはいませんが、セクシー系を含む実に様々な女優としてのお仕事をしたり、週刊誌のグラビアを飾る仕事をしたりと、芸能界にそれぞれの居場所を探してその活躍は続いているものの、歌手として専業にすることはご自身の事を考えてあえてしなかったのではないかと思われます。それは彼女らの芸能界での生き残りを掛けた聡明さであり、非難されるものではありません。ただ当時ジャズ・シンガーとして人気が出て一時は活躍したとしても、その歌が本物かどうかをはっきりと断じた竹中労さんの耳の確かさを示す結果になっています。

さらに竹中労さんが穏やかながらも辛辣に読者に対して言い放った一言は、物書きとしての覚悟を発したという点において私の好きなフレーズです。

「[あら探し]なんてことは卑劣な精神の所産で、私・竹中労とても、そんな読者は必要ないと言い切るだろう。」

このケースでは薄っぺらい月刊誌である「新雑誌X」を当時としては高値の500円を出して買って読んでいる読者に対してもこの言い方だったわけですから、通信費は誰かが出しているとしても親に通信料を出してもらい実質的に無料で読んだ上にあら探しの卑劣な書き込みを連投する輩に対しては、その怒りは更に高まったのではないかと推察するのです。

というわけで、もし竹中労さんが今に生きていてブログを書きたいとおっしゃった場合、まずは雑誌に書いている以上に書いている内容についてアラ探しをしたり、書いている内容とは無関係な暴言を書く「荒らし」が来るかも知れないからとコメント欄を作らないことをおすすめすると思います。まあそれでもメールで投書してくる人はひっきりなしに出てくると思うので、そうした反論にもなっていない反論をご本人にそのまま見せたらブログ自体を投げ出してしまう恐れは多分にあるでしょう。それはそれで仕方がないとあきらめるのが普通ですが、とにかく粘り強くブログを書いてもらうようにお願いできるだけの人が周りにいるかどうかが竹中労さんがネットでの発信を続けられていたかどうかの分かれ目になったことは間違いなさそうです。


竹中労さんがインターネットを使っていたら? その2 より効果的な発信方法とは?

インターネットで即時発信ができるようになり、雑誌にしか書く機会のないライターの方々の状況は大きく変わりました。それまでは、特に月刊誌に書いていたライターの方はネタ選びに大変だったと思います。正にそうした恨み節のような文章を竹中労さんが書いている文章がありますので、最初に紹介しましょう。

——————————————————————————–
本誌(引用者注・月刊誌「新雑誌X」のこと)の生命は情報であるからして、ペンは渋滞するのだ。早い話、下版をした翌る日に三浦和義クンが犯行を告白したり、グリコの一味が逮捕されたら、それこそ裏もオモテもない。ホッカホッカの話題には、したがって触れるべからず。ヒョーロンカ風の一般論、当ろも八卦の探偵ごっこ、筆者は詰まらない読者も面白くない。
(単行本「人間を読む」(幸洋出版)「湿った火薬に火をつけてみよう」111ベージより引用)
——————————————————————————–

それまでも新聞へのコメントを求められた場合以外には、直接竹中労さんが出演するイベントに出向く以外には最新ニュースについての竹中労さんのコメントは、読者の方々は知ることはできなかったわけです。それは読む側だけでなく発信したい時に発信できない竹中労さんにとっても歯がゆかったはずです。

そこで、問われるのは竹中労さん本人というよりもその周りで竹中労さんを助ける人達の存在になるでしょう。その内容は口述筆記の形になるのか簡単なものでも原稿として書いてくれるかはわかりませんが、インターネット黎明期にはまだ自分でHTMLを書いてホームページを作る必要に迫られたのて、かなり周りの人にもストレスがたまってしまったかも知れません。そう考えると、ホームページを作ってまで連日ページを更新できたかと言いますと難しいだろうとしか言えないでしょう。

ただ、もし外部に竹中労さんの発信力自体に期待をし、日々更新の電子メディアの執筆者として竹中労さんのネット発信をお膳立てしてくれる人がいたら、かなりネットでも早い時期から発信できていたかも知れません。

なお、現状のようにブログで簡単に発信できるような環境が整っていれば、竹中労さん自体が書き込みをしなくても、竹中労さんの事務所のアシスタントの方一人でも何とか発信はできたのではないかと思います。もっと言うと、ネットで発信した著名人の発言について自サイトであるか、その方がコメント可能なブログなどを開いていた場合はそのコメント欄を使ってバトルまでやっていた可能性も考えられますが、その場合もアシスタントの仲介を通じてバトルを行なったと思うので、自分で勝手に熱くなってわけがわからない状況になる前にアシスタントの方がたしなめたと思います(^^;)。

また、アメリカの大統領選挙でもその効果を実証したTwitterについては、うまく使えばファンを爆発的に増やすことも不可能ではなかったでしょうが、恐らく竹中労さんには自らの信者のようなファンを爆発的に増やす心づもりはなかったのではないかと思います。今でも連日Twitterで「竹中労」と検索を掛ければ多くの発言が今だにヒットする竹中労さんなので、毎日発信を続けていればかなりのフォロワー数をを得ることになっていたでしょう。個人的には竹中労さんのアカウントがあればすぐにフォローして新刊情報やイベントガイドだけでも発信してもらえれば有難いという事はありますね。

もし、個人的に竹中労さんのネット発信にからませていただくことができていたとしたら、ネット発信のために新たな原稿をお願いするのは気が引けるので、「ニュース・バトル延長戦」とでも銘打って、定期的に竹中労さんにカメラの前で気になるニュースについて喋ってもらいYouTubeあたりに流せば、竹中労さんにも負担を掛けずに広くその主張を多くの人には見てもらえるのではないかと思います。特に現在でも同じような状況で、インターネットは苦手ながらも「発信させたい人」がいる場合は、その主張についてとりあえずビデオに録画してデータ化しておくことを強くおすすめします。

ここまでは、ネット上の執筆環境について考えてみましたが、それで終わりではありません。発信すれは反響があり、その反響を竹中労さんがどうとらえ、その後の行動につながっていくかについても考えなければならないでしょう。次回はもし、竹中労さんが現在でもネットでよく見掛ける重箱の隅をつつくようなネット上の発言に対する批判を受けたらどうなってしまうだろうかという、かなりシビアなところに突っ込んで考えてみます。


竹中労さんがインターネットを使っていたら? その1 当時の執筆環境について

インターネットが情報収集に必要不可決になっている今、もし過去に活躍していた人がその時代からインターネットが存在していたらどうなったかという風に考えることはなかなか面白いものです。SF小説のようになってしまうくらい昔の人物についてはナンセンスかも知れませんが、竹中労さんが活躍した時代にインターネットが一般化していたらどうなっていたかということを考えることはなかなか面白いのではないかと思います。

というのも、竹中労さんの運動は多岐にわたり、機関紙を作って郵送するだけでも結構な手間がかかっていたと言います。それがメーリングリストやメールマガジンに代替できれば飛躍的に費用が抑えられ、費用の関係で諦めていた活動ができていたかも知れません。

さらに公の媒体から干されていて書く場所を失っていた時期であっても、ホームページやブログ、Twitterで常に自分の考えを発信できていれば、より多くの人により早く竹中労さんの考えを伝えることができ、その後の方向も変わっていったのではないかと空想をふくらませることができます。

ただ、ここを読まれている方は十分おわかりのことと思いますが、インターネットというのは普通の社会と同じで全て便利で素晴しいものではありません。ストーカーのように反対勢力に嫌がらせをされてそれがストレスになって執筆活動に悪影響を与えてしまうことも十分に考えられます。

そこでここでは、竹中労さんがインターネットが一般化している現在でも健在であったなら、ネットについてどのくらい利用していたのだろうかということについて考えていきたいと思います。

まず、インターネット云々を考える前に、竹中労さんが仕事をしていた当時、どの程度新たな執筆環境を使っていたのかという事を考えてみます。まず、原稿は原稿用紙に書いたものをアシスタントの方が清書して提出するかファクシミリで送るというパターンであったように思いますが、竹中労さん自身は原稿に手書きが中心だったろうと思います。というのも、1990年前後に私自身がどの程度パソコンを使っていたかを考えても、本格的にパソコン通信(インターネットが普及する前の文字によるコミュニティ)に利用したパソコンを購入したのもMacintoshのカラークラシック2が出た1993年以降のことで、まだワープロ専用機を使うのがせいぜいだったと思います。

ただ、竹中労さんの事務所ではワープロ自体は清書用として早い時期から導入されていたようで、私が竹中労さんが当時入院していた東京・秋葉原の三井記念病院の病室に執筆環境を病室にもということで、当時は相当高かったと思われる東芝のワープロ専用機Rupoのブラウン管モニターの大画面タイプをお宅から車で持っていったことを覚えています。ただワープロは竹中労さんが直接使ったのではなく、アシスタントの方が清書をする形でワープロを利用していたと思います。

また、このワープロではハガキでの各種案内やセミナーのお知らせなどを作るにも使っていたと思います。ワープロで版元を作って、懐かしのプリントゴッコで仕上げて送ってもらっていたように思います。恐らく当時はワープロを使っていろいろな原稿を作っていたことから、もしインターネットが普通に使えるなら、竹中労さんの原稿以外は全てデータ化することは可能だったのではと思います。

私自身が時期的には竹中労さんがお亡くなりになる前後に竹中労事務所とご縁ができたということから、後日アシスタントの方から直接お話をいただき、パソコンの購入相談や、インターネット回線の契約についてもアドバイスしたりもしていたので、とりあえずネットで気になるニュースや論評を読んだりすることはできました。その状態でもパソコンをワープロの代わりに使って清書をするという仕事のパターンは、もし竹中労さんが存命だった場合も続いていたであろうと思われます。

というわけで、パソコンを仕事場に導入してインターネットを利用できる環境だけは竹中労さんの周辺では何とか整えることはできたと言えます。それを前提にしつつ、次は実際に竹中労さんがインターネットで発信するような気になったのかどうかという点について考えてみたいと思います。