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井家上隆幸さん ご逝去のお知らせ

新聞報道によりますと、竹中労さんとは盟友として様々なお仕事に関わり、竹中さん亡き後にもご活躍なさっていた文芸評論家の井家上隆幸氏が2018年1月15日、肺炎で死去されたということです。84歳でした。

私自身は一昨年にとある会合でお会いしてお元気な姿を拝見しておりましたが、最近は体調を崩されているというお話だけは聞いておりました。今回はからずもこのようなお話を聞き、無念としか言いようがありません。

私自身は竹中労さんの遅れてきたファンのため、竹中さんがダ・カーポで連載していた「テレビ観想」目当てに雑誌を購読していたときに、井家上さんのダ・カーポや噂の真相の連載を目にし、その毎日の読書量の多さにあっけにとられ、自分自身の読書量の足りなさを嘆いたものですが、話題の本だけでなく多くの本を読まれてその書評を書かれることで、私自身の読書の指標として仰ぎ見る存在感がありました。現在の私の年齢より上で、なぜ毎日の読書量を落とすことなく続けられたのか、そう考えると全く頭が上がらない想いでした。

できれば近いうちにお会いする機会を作って私の知らない竹中労さんについての逸話をお聞きしたいと思っていたのですが、その願いが叶わずに本当に残念です。故人の冥福を心からお祈り申し上げます。


美空ひばりにジャズを歌わせた後悔と「土着」

先日ラジオを聞いていたら歌手の八代亜紀さんが出演されていて、そこでは演歌ではなく「ジャズ歌手」としての作品について話していました。パーソナリティの高橋源一郎さんは自分が一番好きなジャンルはジャズボーカルだと言って、まさに番組に来てくれたゲストに対してのホストといった感じで話を進めていました。

音楽が商売にならなくなりつつある今、いかに自分の存在を知ってもらうかというところにおいて、こうした「他流試合」をうまくこなすことで、ディナーショーやコンサートなどでも新たな客層が開拓できるでしょうし、八代亜紀さんのこうした音楽活動についてとやかく言うことはありませんが、彼女にとってはやはり同じ演歌界の大先輩である美空ひばりさんがジャズを歌っていたということも大きいのではないでしょうか。

竹中労さんは美空ひばりさんが離婚した際に、ゴーストライターとなって彼女の手記を週刊誌に発表するなどし、身内で強力なマネージャーであったお母上にも厚い信頼を得ることに成功しました。その良好な関係は有名な単行本「美空ひばり」を世に出した時に山口組の田岡組長との関係を書いたことで決裂してしまうのですが、それまではかなり美空ひばりさんの近いところにいたわけです。

そんな中で、それとなく彼女に聴くことを勧めたのがジャスで、当時の竹中さんは彼女に英語でジャズを歌ってほしいと思っていたのでしょう。その後、亡くなったナット・キング・コール氏を偲んで出した「ひばり ジャズを歌う」というアルバムではライナーノーツに解説を書いて後押ししているのです。
しかし、竹中労さんはこの事を振り返って後悔しているようなフシがあります。

(引用ここから)
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つまり、ひばりを私は誤解していたのだ。たとえていうなら、マヘリア・ジャクソンに肉迫し、融合する歌い手として。

歌と人・歌と民族・歌と歴史は、まさにわかちがたき一体として存在する。すなわち、歌とは土着であることに、『美空ひばり』を書いた当時(その方向にいちおう論理を展開しながら)、私は確信を持てなかったのだ。すぐれた歌曲を有する民族は、おのれの歌を深め、磨くことを第一義とするべきであると言いきることに、〝国粋主義〟ではないのかというためらいがあった
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(以上 ちくま文庫『完本 美空ひばり』302ページからの引用)

私ごときの音楽観と比べては竹中労さんの事を書くについて大変失礼であることは重々承知であるのですが、西洋の音楽をルーツとしない日本の音楽というのは、多種多様な面白味のある西洋音楽に比べて劣っている、演歌なんてとんでもないというような時期があっていわゆる「洋楽」というものをメインに聴いていた時期がありました。美空ひばりさんについても、代表曲は「悲しい酒」しか知らず、マスコミが山口組との黒い交際をバッシング報道し、弟も暴力団員ということで紅白歌合戦落選というようなイメージの中でしか認識していなかったのが小・中学生の頃の美空ひばりさんの認識だったのです。

引用した竹中労さんの文章を見ても、素晴しいと思ってはいても「マヘリア・ジャクソン」より上か? と言えばそこまでの歌い手ではないと思っていたのではないかと考えられるような書き方をしています。それは、やはり「土着」というものの凄さをそこまで気付いていなかったからだと思われるのです。
しかし、そうした考え方は間違っているということに気付いた竹中労さんは自己批判をし、あえて昔にひばりさんにジャズを歌わせたことについて後悔しているのですが、これをあくまでもメインが演歌であくまで「他流試合」に過ぎないと思えば、むしろ彼女の土着性を再確認できるものだとも取ることもできるでしょう。

私自身、竹中労さんの文章を読むようになって美空ひばりさんの曲についても「悲しい酒」以外の古い曲もいろいろ聴く中で自分の中での評価が変わったところがありますが、かなり強烈だった体験があります。それがフジテレビの深夜バラエティ「北野ファンクラブ」で流れる「スターダスト」で、これが「ひばり ジャズを歌う」にも入っていたのです。

このように、ジャズを歌う美空ひばりさんの歌声を聴いて、改めて彼女の演歌の作品を聴いてみた方々も少なくなかったのではないでしょうか。ひばりさんの歌うジャズは土着からは離れさせるような解釈を今になってする方もいないでしょうし、かえって美空ひばりという歌手は、日本という土にしっくりと根ざした上で他のジャンルもスマートにカバーする存在であることを示すものとして、現在も楽しんでいればいいのではないかと思います。

竹中労さんと土着といえば、もう一つの例として挙げたいのがイカ天のグランドキングを獲得した「BIGIN」の評価についてです。竹中さんは彼らが当初その味を隠していた八重山諸島の味を見抜き、高く評価していました。彼らの現在を見ると、見事にそうした土着性を楽曲に生かすことで、当時はまだ知らなかった八重山の旋律を多くの日本人の心に届けてくれたというところがあります。

こうした「土着性こそが世界に通じる」傾向というのは竹中労さんがいきなり出してきたものではないのですが、それをわかりやすい形で流行歌・ポップスの世界に出した功績は大きいと思います。現代の歌手の中にはあえてそうした土着の素性を隠したり、土着の中にある素晴しいものを現代の歌と合わせることで埋没させてしまっている人もいると思うのですが、長いスパンで見ると残っていくのは土着の文化であることは自明です。今受けるポップスというのは当座の飯の種と割り切って、伝統の凄さというものも合わせて伝えていくことも必要ではないかと個人的には思います。