ここまで竹中労さんのパチンコとの付き合いについて、その特徴を挙げてみますと、台の種類はデジパチ、台に向かう時間は事のついでの数十分、さらにもう一つが玉を現金に換えないで全て煙草という景品に換えているということです。
最近では玉と現金を交換するのに2つの交換レートがあったりしますが、当時は一つのレートしかなく投資金額が回収金額を上回るくらい勝つことというのはよほど大当たりが続かないと難しいものでした。
しかし、景品に換える場合というのは2500発で1万円分が上限の景品という風にになっていて、煙草の場合はディスカウントして売ることのできない専売品として今も存在しているので、煙草一箱を現金として数えれば勝ち負けのボーダーラインはかなり下がることが予想されます。
ただ、竹中労さんの行なったパチンコの楽しみ方というのは「勝負」は「勝負」でも決してお金を儲ける事が目的ではなかったでしょう。これは竹中労さんのアシスタントの方に聞いたことですが、パチンコで勝って交換したタバコがたまっているのにさらにパチンコで勝っても同じようにタバコに換えてくるので自宅にストックされているタバコが増えるばかりで、その引き取り手を探すのに苦労していたこともあったそうです。そうなると、竹中労さんにとってはパチンコで金銭的にあぶく銭を得ようとする気は全くなく、さらに景品を取ること自体にもそれほど興味がなく、単純にゲームとしての勝利を求めるがためにやっていたのではないかという感じがします。
一番最初に紹介したパチンコ雑誌のアンケートでも、庶民の娯楽としてパチンコは生き残って欲しいという希望を竹中労さんは書いておられましたが、決して時間もお金も仕事に影響を与えるほどつぎ込むことなくほどほどに楽しむことこそがパチンコの奥義であるのだとは良く言われるところです。何の知識もなくパチンコ屋さんに通い続け、数十万の負け分を取り戻そうとして数百万の負けになるようなケースは、お店にとっては実にいい「お客様」で、パチンコと付き合う中でも最悪のパターンでしょう。
ただ今後、そんな「いいお客さん」がさらに奈落の底につき落とされるケールが発生する可能性が出てきました。日本でもカジノをどうしても作りたい人がいるらしく関連法案が国会を通って将来のカジノを含めたリゾート計画が現実のものとなりつつありますが、もしそうした流れを受けて作られたカジノで、スロットマシーンがいつでもできるようになったとしたら、パチンコで数百万負けた人がその負け分を取り戻そうとして数千万以上なんて考えたくもない程の負けに急速に到達してしまう人が出てくるかも知れません。
この国は、競馬で勝ったお金にもその額が膨大になるときちんと収支報告をしなければ税金を取るような事をする国なのですから、公営をはじめとする国が主導するギャンブルというのはどちらにしても国にお金を貢ぐようなものです。その中でもパチンコは庶民のギャンブルと言われたのですが、それでも勝ち続けるのは容易ではなく、昔から決まった店をねぐらに生活費を稼ぐパチプロと呼ばれるような人でも毎日続けて勝つことはまれで、何とか月のトータルで十数万勝てるかどうかという厳しさを受け入れて毎日の収支を計算しながらパチンコをしています。私自身も一時期パチンコにはまったことがありましたが現在は以上のような理由からギャンブルの世界からは足を洗っているのですが、それは一度はまるとギャンブル依存症にまっしぐらになってしまうかも知れない恐怖の裏返しでもあります。
改めて竹中労さんのパチンコとの付き合い方を見ていくと、凡人だと大勝ちすれば現金に替えてしまいたくなるところ、あくまで景品を取るだけと割り切るところなど賭け事の恐さと面白さを良く知っている達人だと私には思えます。このような才能は凡人ではとても真似ができるものではないので、くれぐれもギャンブルにはまって現在の日本の特権階級の懐をあたためるような負け方をしない程度に楽しめないなら、一切手を染めないのがいいかと思います。