竹中労さんが猫好きだったということは猫と戯れる様子の写真から広く知られているとは思うのですが、箱根町宮城野に居を構えてから、「にゃんにゃん共和国」と称した猫のコロニーがあったことを知っている人は、特に新たに竹中労さんのことを知った方にとってはちょっとびっくりする事かも知れません。1978年8月に原稿が書かれた「猫の手帖」1978.10の第一回目の連載には、同年8月現在には総勢56匹という「猫系図」が紹介されています。
なおこの「猫系図」については隔月刊の雑誌発売時にどんな変化があるかということで、連載の中には必ず1ページを使って紹介されています。なぜこんなに多くの猫が竹中労さんと一緒に暮らしているかというと、元からいる猫が子どもを産むこともあるのですが、ノラの子猫を保護してきたり、竹中宅が猫屋敷だと言うことを知ってのことだろうと思うのですが、何の愛情もなく捨てていく不逞の輩が残していった猫も引きうけているからなのであります。
第一回目の「猫たちに無限の自由を!」にも、そうした人間の動物愛護精神のかけらもない、ひどい猫の捨て方に言及しています。無抵抗の子猫を自ら逃げ出すことができないように箱に紐を付け、ゴミ捨て場に放置していたものを、6匹のうちそれでも何とか2匹の命を取り留めることに成功するのですが、このようにして竹中宅にやってくる猫がいて50匹以上に増えてしまったのでした。
最近では動物愛護法に抵触する行為をしたことがニュースになる時代でもあり、あからさまに猫を捨てる人は少なくなったかとは思いますが、竹中労さんはそうした人間の所業を強く戒めます。本文の中から少し紹介しましょう。
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とりわけて、子供にネコを捨てろと命ずる親たちを、吾輩はおぞましく思うのだ。人の生命だけが尊厳であり、生きとし生ける者も差別して、就中はっきりと表情を持ち、魂を持つ生命を平然と奪う惨心を、わが子にうえつけていることに、親たちは気がつかぬのである。(1978.10「猫の手帖」1号より)
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この文章の前に、竹中労ファンならご存知夢野久作の「春の夜の電柱にもたれて思う……」から始まる一節を出しています。人と人との争いには理由があるものの、全く心の痛みも感じず人間同士のやりとりになることは稀です。しかし、それが人間でなく猫や犬に対象が変わったとたん、冷酷な仕打ちを押し付けるような教育を親が子供に対して当時していたとしたならば、平然と人を物理的にも精神的に傷つけても何の感情も表さず反省もない大人が今のこの社会にうようよいることにもなるのですが。
その後、話はまた竹中宅内「共和国」の猫の話に戻るのですが、傑作なのが仲間の猫が嫌いで、屋根裏に隠れるようにして生活しているものの子育てをする時だけ降りてくるゴッドマザー猫の困った行状に対しての人間たちの騒ぎっぷりです。子育て後になぜか我が子に家出を命ずるのが常なのだそうで、そのたびに共和国世話役のアシスタントの方が先頭に立ち、子ネコの大捜索が行なわれていたのだそうです。
これも竹中労さんの本を読んだり当時の仕事などをご存知の方からすると、箱根の家で仕事をしていた時も公安警察が竹中さんの動きを監視しており、あの人は赤軍派の黒幕だからと近隣住民に吹き込んで協力を得ようとしていたこともあったかも知れません。しかし、こうした公安の目論見は失敗に終わったと竹中さんは書いています。その部分をここで紹介しましょう。
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「ネコをあんなに可愛がっている人が赤軍であるはずがない」と、むこう三軒両隣りで大いに弁護を(!)してくれたことであった。最近では宮城野のネコ屋敷といえば、タクシーが二つ返事で客を運んでくれるのである。(1978.10「猫の手帖」1号より)
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一匹や二匹なら過激派が姿をかくすためにカモフラージュしているということはあるかも知れませんが、少なくとも迷い猫・捨て猫・野良猫を保護してきて50匹以上のコロニーを作るなんていうことは、たとえ過激派との接触があったとしても、「黒幕」という風にとらえるのはそれこそ公安だけだったことでしょう。竹中さんのお宅で生活しているネコはネズミを捕るだけではなく、公安すらも遠ざけてくれたというのはなかなか面白い話です。