インターネットが情報収集に必要不可決になっている今、もし過去に活躍していた人がその時代からインターネットが存在していたらどうなったかという風に考えることはなかなか面白いものです。SF小説のようになってしまうくらい昔の人物についてはナンセンスかも知れませんが、竹中労さんが活躍した時代にインターネットが一般化していたらどうなっていたかということを考えることはなかなか面白いのではないかと思います。
というのも、竹中労さんの運動は多岐にわたり、機関紙を作って郵送するだけでも結構な手間がかかっていたと言います。それがメーリングリストやメールマガジンに代替できれば飛躍的に費用が抑えられ、費用の関係で諦めていた活動ができていたかも知れません。
さらに公の媒体から干されていて書く場所を失っていた時期であっても、ホームページやブログ、Twitterで常に自分の考えを発信できていれば、より多くの人により早く竹中労さんの考えを伝えることができ、その後の方向も変わっていったのではないかと空想をふくらませることができます。
ただ、ここを読まれている方は十分おわかりのことと思いますが、インターネットというのは普通の社会と同じで全て便利で素晴しいものではありません。ストーカーのように反対勢力に嫌がらせをされてそれがストレスになって執筆活動に悪影響を与えてしまうことも十分に考えられます。
そこでここでは、竹中労さんがインターネットが一般化している現在でも健在であったなら、ネットについてどのくらい利用していたのだろうかということについて考えていきたいと思います。
まず、インターネット云々を考える前に、竹中労さんが仕事をしていた当時、どの程度新たな執筆環境を使っていたのかという事を考えてみます。まず、原稿は原稿用紙に書いたものをアシスタントの方が清書して提出するかファクシミリで送るというパターンであったように思いますが、竹中労さん自身は原稿に手書きが中心だったろうと思います。というのも、1990年前後に私自身がどの程度パソコンを使っていたかを考えても、本格的にパソコン通信(インターネットが普及する前の文字によるコミュニティ)に利用したパソコンを購入したのもMacintoshのカラークラシック2が出た1993年以降のことで、まだワープロ専用機を使うのがせいぜいだったと思います。
ただ、竹中労さんの事務所ではワープロ自体は清書用として早い時期から導入されていたようで、私が竹中労さんが当時入院していた東京・秋葉原の三井記念病院の病室に執筆環境を病室にもということで、当時は相当高かったと思われる東芝のワープロ専用機Rupoのブラウン管モニターの大画面タイプをお宅から車で持っていったことを覚えています。ただワープロは竹中労さんが直接使ったのではなく、アシスタントの方が清書をする形でワープロを利用していたと思います。
また、このワープロではハガキでの各種案内やセミナーのお知らせなどを作るにも使っていたと思います。ワープロで版元を作って、懐かしのプリントゴッコで仕上げて送ってもらっていたように思います。恐らく当時はワープロを使っていろいろな原稿を作っていたことから、もしインターネットが普通に使えるなら、竹中労さんの原稿以外は全てデータ化することは可能だったのではと思います。
私自身が時期的には竹中労さんがお亡くなりになる前後に竹中労事務所とご縁ができたということから、後日アシスタントの方から直接お話をいただき、パソコンの購入相談や、インターネット回線の契約についてもアドバイスしたりもしていたので、とりあえずネットで気になるニュースや論評を読んだりすることはできました。その状態でもパソコンをワープロの代わりに使って清書をするという仕事のパターンは、もし竹中労さんが存命だった場合も続いていたであろうと思われます。
というわけで、パソコンを仕事場に導入してインターネットを利用できる環境だけは竹中労さんの周辺では何とか整えることはできたと言えます。それを前提にしつつ、次は実際に竹中労さんがインターネットで発信するような気になったのかどうかという点について考えてみたいと思います。