竹中労さんが亡くなる前に入れあげた「たま」を輩出したTBSの「イカ天」には様々な種類のバンドが出演していました。そこから出てきた若いミュージシャンを見る竹中労さんの目は全般的に優しかったですが、その反面既存のフォークやニューミュージックのアーティストについて、かなり厳しい目で見るだけでなく、露骨に嫌味を言うような書き方をしている場合があります(例えば、「さだまさし」を「ださまさし」というように)。
これは一体、どういうところに原因があるのか、ちょっと考えてもわからないと思われる竹中労さんが好きでなおかつフォークやニューミュージックも好きな方もおられると思います。そこで、ここでは竹中労さんが過去に書かれた文章を当たってみて、その原因と思われる点を検証してみようと思います。
私自身が竹中労さんの文章を読んでいて、確かそのような事が書いてあったと思った件があり、改めて竹中労さんの本をあさっていて何とか見付けることができたのが、竹中労さんが亡くなってすぐに出た単行本「無頼の墓碑銘」の中にある「ニューミュージックマガジン」初出の文章がそれに当たりますので、当該部分を引用して紹介します。長い文章を引用するのは気がひけるので、その前に書かれていることを要約して紹介すると、あがた森魚氏の「赤色エレジー」という曲について書かれているコラムの事でした。この曲はあがた氏自身のデビュー曲で、当時「コッペパンを噛りながらのどん底生活の中で、この曲をつくりました」(この部分は「無頼の墓碑銘」の中から引用)とご本人が言ったといいます。
となると、現在の「赤色エレジー」のクレジットはどうなっているのかということが気になりますが、上記のあがた氏の発言が真実ならば当然、「作詩・作曲 あがた森魚」になっているはずです。しかし、私がネットで調べた結果、作詩はあがた森魚氏ですが、作曲は「八洲秀章」となっているのです。
当時の状況をご存知の方もいるかとは思いますが、実はこの「赤色エレジー」については、伊藤久男さんが歌った「あざみの歌」(1951)に似ているのではないかという盗作疑惑騒動があったのです。「あざみの歌」も「赤色エレジー」もYouTubeや音楽ストリーミングサービスを利用すればその内容にあたることができると思いますので、興味のある方はぜひ聞き比べていただければと思いますが、個人の考えはどうあれ、多少違うから大丈夫ということにはならなかったようです。結果として「あざみの歌」の作曲者である「八洲秀章」の名前がそのままクレジットされることになったというわけです。
竹中労さんの考えとしては、似てしまったものは仕方がないわけで、それなら上記のような言い訳でなくはじめから「あざみの歌」を意識して作ったとか、無意識に過去に聞いた「あざみの歌」をなぞるような曲を作ってしまったとでも言えばいいというような事を書いています。もしこれが特許の世界ならば、基本的な特許を登録した人がいた時点で同じ特許を使った製品を出す場合は特許料の支払いが必要で、後からそれをアレンジしてさらにいいものに仕上がったとしても、無許可で製品を出し金儲けをしたとすれば、多額の賠償金を請求されることになってしまうでしょう。また学者の世界であれば論文を盗用したことがネット民の検証でばれてしまい、人生を変えるほどの転落へとつながった事件があったことを思い出す方もあるでしょう。「赤色エレジー」は当時60万枚を売リ上げる大ヒットになってしまったことで騒ぎが大きくなったところはあるかも知れませんが、この件についても何やらお金にまつわるきな臭さが漂おうとも言うものです。
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フォークの世界に、ぼくが愛想をつかしたのはこれだ。『よこはま・たそがれ』山口洋子のレベルまで彼らは退廃している。
(「無頼の墓碑銘」188ページ 「サハルヘカラス」より引用)
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そのような盗用疑惑にはっきり答えない歌手の存在があったことでそのジャンル自体に愛想をつかしたということがここで明らかになっていますが、後半部分は当時の時代を知らない方にとっては、ここに来て急に五木ひろしさんのデビュー曲、『よこはま・たそがれ』を作詩した山口洋子氏がなぜ出てくるのかわからない方もいらっしゃるでしょう。
五木ひろしさんは竹中労さんも審査員として番組に参加していた読売テレビの「全日本歌謡選手権」から再デビューしたことでも知られていますが、その際に強力な後ろ盾になったのが作詩家の山口洋子氏で、再デビューにあたって所属したプロダクションは山口氏の知人である野口修氏が経営していた当時はキックボクシングの沢村忠で有名だった野口プロモーションでした。その後、竹中労さんは全日本歌謡選手権の審査員を降りてしまうわけですが、その一つの原因が今回紹介する問題であったのかも知れません。
問題になったのが『よこはま・たそがれ』の歌詞について挙がった盗用疑惑です。アディー・アンドレというハンガリーの詩人の「ひとり海辺で」という作品に山口洋子氏の歌詞がよく似ており、完全な山口洋子氏のオリジナルではないのではないかという指摘があったのです。この件についてはかつて「週刊文春」編集長だった花田紀凱氏が竹中労さんの反応まで詳しく書いていますので、興味のある方は【山口洋子の「よこはま・たそがれ」は盗作だった。】という題名でネット検索して読まれてみるといいかと思います。
このように、しれっと他人から作品やアイデアを拝借して自分のもののようにして発表するような流れが当時の歌謡界にはあり、その流れの中にフォークやニューミュージックが巻き込まれた時点で、竹中労さんはこれらのジャンルについて見限ったと見ることができるでしょう。今回名前を挙げた歌手のファンの方からすると気分が悪くなる話かも知れませんが、事実は事実として受け止めることも大事です。特に今の世の中はネットですぐに検証され、盗用疑惑の段階でもネット炎上のような盛り上がりになる社会です。これから出てくるであろう多くのミュージシャンや作詩・作曲家も、作品として公開する前に過去に同じような作品がないかということについては十分に検証した上で発売するなど、疑われる事すらもしない方がいいと私は思います。