竹中労さんの言葉は何故若者を魅了するのか? 音楽の発言から見ると

竹中労さんの書く文章の内容は、今後このブログで紹介するにもどこから紹介するか困ってしまうほど多岐にわたりますが、その特徴の一つは同世代の人だけでなく、当時の竹中労さんからするとかなり世代が下の層にも受け入れられたということがあります。お亡くなりになる前に書いた「たまの本」を読んでファンレターを送ってくれた人の最年少記録は、小学校高学年の子だったと当時竹中労さんに近い人から聞いたことがありますが、何故小学生にもファンレターを出さずにはいられないような文章を書けたのでしょうか。

この点については私が竹中労さんの存在を知った時にはいわゆる若年層だったということもあるので、自分の経験も入れながらその理由について考えていきたいと思います。「たまの本」を挙げさせていただきましたので、今回は主に「音楽」に関する発言や文章について見ていくことにします。

普通の人が初めて音楽に自分から触れるのは、親や周るの大人が特別に音楽好きで、それなりの教育のために聞かせているという稀なケースを除き、常に家庭の中にあるテレビの歌番組やアニメ、ドラマ、テレビで放送される映画からというのがほとんどであるでしょう。ただテレビというのは玉石混交で、子ども向けとは言ってもアニメや映画の中でも決して正統派とは言えないヘンな音楽があり、なぜかそういうものに興味が出てくる場合があります。

その点について、自分の興味を押し付ける気はありません。ただ、私が過ごした静岡市周辺で小・中学生として暮らし、その体験をそのまま自らのプロとしての音楽活動に生かしているのではないかと思われる人たちが実際にいたので、そうした権威にすがって一つの事例を紹介しようと思います。その「権威」とは今では音楽シーンだけでなく映画やバラエティ番組にも一部進出している「電気グルーヴ」のお2人です(^^)。

彼ら電気グルーヴがかなり前の話になりますがメジャーデビューすぐに深夜ラジオのパーソナリティを行なうことになり、たまたま私が深夜に聞いていたのですが、番組の中で自分達のお気に入りの楽曲を紹介する中で、これも当時のベスト10には全く入らない類の楽曲ではあるのですが、かなり異質なポップスとして彼らが好きになるのも納得という曲がありました。それが香港映画「Mr.B00!」の、日本語や英語の曲を聞き慣れた耳にとっては少し変な、中国語をロックに乗せたテーマ曲だったのでした。私自身もゴールデンタイムのテレビで映画の日本語吹き替え版が何度もやっていたのをよく見ていましたので、吹き替えによる映画の内容とともに、その奇妙な主題歌は面白いと思っていました。

ただ恐らく映画が公開された当時、例えばクレージーキャッツやドリフターズの楽曲と比較して素晴しいと評価する音楽評論家など皆無だったのではないかと思うのですが、少し時間が経って、竹中労さんが「Mr.B00」の主題歌を評価しているのを読んでびっくりすると同時に大いに感心した事があります。その部分をここで紹介しましょう。

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ご隠居 許(ホイ)・ブラザーズも『ミスターBOO』の主題歌なんか、かなりのものだったが。
左太郎 『ドリフターズ・ソング』ですか?
ご隠居 そう、スチャラカ・ロックの一級品であったわけだけれど、香港製だからと日本の若者は乗ってこないのだ。
左太郎 それも、差別なんですねえ。
(テレビ談語 第2回「テレビは、地球をダメにする」 単行本「人間を読む」(幸洋出版)202ページより引用)
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ここで述べられているのは、当時まだ「ワールドミュージックブーム」が起こる前から、日本の聴衆や評論家があくまで評価するのは欧米の音楽が中心で、アジアなど当時の日本人が見下していて(日本人が「名誉白人」だなどという言い方もあった時代です)、世界各国あまたある地域の音楽についてもまともに聞いて評価する土壌が皆無だった事について憤っているということもあるでしょう。

そのような当時の音楽状況など全く知らなかった当時の若者世代よりさらに下の世代である電気グルーヴの二人が、結果として評論家の言う事など全く気にしないで面白いものは面白いと思いながら音楽活動を続けていくうちに、さらに面白いものが生まれ、メジャーでも成功を収めているというところもあるわけです。

何でもそうですが差別というものは物事の本質を見失ってしまうものです。どんな軽蔑すべきものと思うことがあっても、まずは体験してみてから良し悪しの判断を下すことで、見えてくるものは大いにあるのではないかと私は竹中労さんのこの文章を目にして教えられたような気がします。

そこで、しみじみ思うのは、竹中労さんは音楽についても事前に偏見を持って聞いたりせず、良いものだと感じたら他人の目を気にすることなく褒めるという立ち位置にいたからこそ、若者からの信頼を勝ち得ることができたと思えるのです。

竹中労さんが肩入れした「イカ天」の審査員の中には、楽器を演奏するについての技量についてのみ判断し、あくまで上から目線で話すような方もいたのですが、竹中労さんも審査員として番組に出ましたが、その時に感じたのは目線を下げ、テクニックよりも魂の叫びが感じられたり、何より楽しくバンド活動をやっているところを評価していたように思います。

音楽について判断する耳の良さということだけではなく、音楽を聞く前の段階として、どんな事でも差別しないで評価するという姿勢というのはやはりさすがで、こんな人は今の音楽シーンを見渡してもなかなか見付けることができないからこそ、今も様々な場面で語られているのではないでしょうか。

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