音楽評論家の伊藤強氏が、2016年12月15日にお亡くなりになりました。単にネットでプロフィールを見るだけでは、竹中労さんとの関係はわかりませんが、この方こそ名著「ビートルズ・レポート」を竹中労さんと一緒になって書かれたチームの一員だった方の一人です。ご冥福をお祈りいたします。
「完全復刻版」と銘打たれたWAVE出版の「ビートルズ・レポート」の巻末には、竹中労さんだけでなく、仕掛人となった河端茂氏(当時・音楽之友社)と、当時は報知新聞の文化部記者だった伊藤強氏の文章が載っています。その他、当時東京中日スポーツの記者だった森田潤氏、藤中治氏(日刊スポーツ)が「音楽記者」としてこのレポートの記事を書いています。
その中で伊藤氏の文章の頭に、はじめて竹中労さんに会った時の事が書かれています。伊藤さん自らの意志ということではなく、まず最初に河端氏から竹中労に会わないかと言われて会ったとのことですが、その前に河端茂氏と伊藤強氏が話している中で、ビートルズ初来日のレポートを書く話が始まったといいます(この時点ではまだ竹中労さんの名前は出てきません)。そして、河端氏の文章の中に、ビートルズと竹中労さんを結びつけるこんな内容が書かれていたのです。
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私が”ビートルズ嫌い”の竹中労に意向を叩いたのは、別に他意はない。ポピュラー音楽の華は、つねに異種混合の土壌に咲く。それなら書く方も異種混合でやってやれ、とおもったにすぎない。
(河端茂「あのとき、みんな曲り角に立っていた」から一部引用)
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こう河端氏が書くからには竹中労さんもビートルズの来日前には公前と「ビートルズ嫌い」を口にしていたということになりますが、それは同じ「完全復刻版 ビートルズ・レポート」のあと書きに竹中労さん自身が書いていたのでした。というのも竹中労さんの著作「呼び屋」の終章のタイトルが『くたばれ、ビートルズ!』であり、その文章を書いた当時には竹中労さんは彼らの音楽に納得していなかったと正直に書いています。
ただ、レコードやラジオで聴くのと、実際にその演奏を感じるのとでは違うことがあるということは当然あり、竹中労さんもそのように書いてもいます。恐らくそういったことを河端氏からうまく言われてその気になって「ビートルズ・レポート」に関わる中でビートルズ贔屓へと変わっていったというのが本当のところではないでしょうか。
河端氏にはいくらビートルズ嫌いを公言していたとは言え、ビートルズ来日にまつわるレポートをまとめられるのは竹中労さんしかいないとピンと来たのかも知れません。さらに「竹中チーム」として執筆に加わった河端氏伊藤氏をはじめとするマスコミ・出版者に所属するメンバーは名前を前面に出してレポートを書くことができなかったことから、竹中労さんが文責を一手に引き受けて「ビートルズ・レポート」が書かれたのです。
このような形で竹中労さんと言ったらビートルズと言われるようになるくらい、多くの人に認知されてしまうのですから、この功績というのは竹中労さんの仕事が素晴らしいからということはもちろんあるにしても、竹中チームを支えただけでなく、竹中労さんがビートルズについて書くきっかけを与えた河端茂氏や伊藤強氏の力もあったと言うべきでしょう。河端氏もすでに故人となっておられますが、その仕事とともに「ビートルズ・レポート」をプロデュースしたという点についてもしっかりと記憶しておくべき方だと思います。