「にゃんにゃん共和国」を読む その2 66匹に増えた猫を養うため山を降りる?

竹中労さんの著作を読まれている人にとって、その生活における猫の比重はどのくらいのものであったかというのは、このルポに登場する「にゃんにゃん共和国」でネコの世話をしている方や、オンタイムで「猫の手帖」を読んでいるかしない限り、実感できなかったのではないかと思っています。

ともかく、ルポの内容を読んで行くと、急に屋根裏に入ったと思ったらいきなり出産することを繰り返すネコの話も出てくるので、竹中労さんのサイドで去勢手術などしないで飼っていることも類推されます。そんな風に多産系のネコが子を産んで増え、さらに前回のルポで「箱根の猫屋敷と言えばタクシーですぐに行ける」などと書き、さらには大体の住居の場所も匂わせているものだから、あえて竹中労さんの自宅にネコを捨てに来る輩も出てきたりして、第2回の冒頭から、にゃんにゃん共和国は前回より10匹も増えた66匹のさらなる大所帯になったことが書かれています。

相変わらず家にやっては来てもなじめないで脱走するネコの捕獲に人員が割かれるも、エサ代も捻出せねばならず、さらにはにゃんにゃん共和国管理人として、仕事をしながらも共和国在住のネコたちの機嫌も取り結んでいかなければならない(管理人としては共和国住人のネコに無視されたくないから?)となれば、当然のごとく仕事にならず原稿料も出ないのでたちまち共和国崩壊の危機に陥り、竹中労さんは山を降りて仕事中心の生活をしなければならなかったということになります。さらに言うと、ネコにとっては一番の苦手である冬の寒さによって風邪をひくと、これもまた費用のかかる動物病院のお世話になることで、竹中労事務所の負担は更に増えていくことへの嘆きも書かれています。箱根で暮らす竹中労さんにとって秋から冬へと変わる季節というのはまさしく魔の季節だったということでしょう。

ただ連載の方はそうした当時の状況とは別に、個別のネコについての紹介もあります。ただ66匹もいると、皆従順なわけでもなく、仕事をしてネコのエサ代を捻出しなければならない身からするとうんざりすることもあると言います。しかし竹中労さんはこうも書いています。

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ズッコッコ(共和国在住のネコの一匹の名前)の場合は、いささか痛ましくすら思え、とりわけ深夜に咆哮されると、カンシャクと不愍(ふびん)がいっしょにこみ上げてきて、いたたまれなくなるのだ。六十六匹もいる中には、こういう頭の煮えたやつがいて当然、「にゃんにゃん共和国」のそれは一つの与件なのである。
(猫の手帖2号 1978年12月)
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この内容をネコのコロニー内だけのことと考えてはいけません。人が集まる中でも同じように気の合う人もいれば見ただけでムカつく人もいます。そんな中共同生活をしていくためには上記の竹中労さんのような大いなる寛容さも必要になってくるというわけです。

私たちの生きる社会においても、中には肉体や精神に問題があり、なかなか社会になじめない人達もいるわけですが、そうした人を排除して仲間内だけで固まって共同体を作ったとしても、その小さな共同体の中でまた問題が起こってくることは間違いないでしょう。実際に自分の中で軽蔑することもあるかもしれませんが、その上で理解しようと努めることもまた共同体を構築するためには必要なことなのです。

このように、当初全く懐かないようなネコを辛抱強く接しているうちに馴染んでくる様子を猫キチ目線で描いている部分についてはぜひ実際に竹中労さんの文章にあたって欲しいですが、さらにここで革命家の面目躍如と言いますか、ここで更に「ネコのための革命」論を全面展開するのです。現状では目下の66匹のネコの生命を守るために山を降りて仕事をすることになるものの、日本全国、全世界の捨てられたり虐待されているネコのためにも革命を起こさねばならぬというわけです。

現代のペット事情というのほ当時とはかなり変わり、昔のように当たりかまわず犬やネコを捨てるような事は見なくなりました。しかし、今だに野良犬や野良猫を虐待する人はいますし、広場で暮らすノラネコに無断でエサをやることが問題になるなど、解決しなければならない事は数多くあるでしょう。人間とネコが共存して暮らしてゆくためにはやはり人間の社会を変えていくことが不可決であると竹中労さんは教えてくれています。

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