(書名)浮気のレポート/一夫一婦制度への挑戦
(著者名)竹中労
(出版年)1967年
(出版社)秋田書店サンデー新書
(内容)未婚女性に対し既婚男性との性行動を調査。「処女喪失」を補完した。
(備考)この年(1967年)12月にキューバ人民共和国に旅立つ。
投稿者「terada」のアーカイブ
01-007「くたばれスター野郎」1967年
(書名)くたばれスター野郎
(著者名)竹中労
(出版年)1967年
(出版社)秋田書店サンデー新書
(内容)プライバシー論争、「あゆみの箱」批判、大部屋俳優の惨状ルポなど。
(備考)東映俳優労働組合争議など竹中労さんが関わった芸能界の事件が書かれている。
01-006「ザ・ビートルズ・レポート」1966年
(書名)ザ・ビートルズ・レポート
(著者名)責任編集 竹中労
(出版年)1966年
(出版社)話の特集別冊
(内容)ビートルズ来日をめぐる異常な警備体制の内幕をレポート。
(備考)三島由紀夫・深沢七郎らに絶賛を受けたと言われる。
01-005「呼び屋/その生態と興亡」1966年
(書名)呼び屋/その生態と興亡
(著者名)竹中労
(出版年)1966年
(出版社)弘文堂フロンティア・ブックス
(内容)アメリカの選挙文化政策を外タレを招聘する呼び屋(プロモーター)に取材。
(備考)執筆直後に弘文堂は破産したのでほとんど書店に並ばなかった。
01-004「美空ひばり/民衆の心をうたって二十年」1965年
(書名)美空ひばり/民衆の心をうたって二十年
(著者名)竹中労
(出版年)1965年
(出版社)弘文堂フロンティア・ブックス
(内容)美空ひばりについてのレポート。
(備考)「一卵性母娘」「文化的植民地主義」のフレーズも生み出すものの、内容については、妥協の産物であり50%の出来との自著の評価だったとも。
01-003「処女喪失/未婚女性の性行動」1965年
(書名)処女喪失/未婚女性の性行動
(著者名)竹中労
(出版年)1965年
(出版社)弘文堂フロンティア・ブックス
(内容)「キンゼイ報告」書の手法を批判する形で実施した精密なレポート
(備考)高橋鉄の推奨を受け国鉄駅売りのベストセラーになる。日活映画化。
01-002「団地七つの大罪/近代住宅の夢と現実」1964年
(書名)「団地七つの大罪/近代住宅の夢と現実」
(著者名)竹中労
(出版年)1964年
(出版社)弘文堂フロンティア・ブックス
(内容)マンモス団地の社会構造を分析
(備考)1964年7月に「女性自身」専属をやめる。竹中労自身が団地の自治会長となって市民運動を展開し、日活で映画化もされたルポ。
01-001「呉子」1963年
(書名)「呉子」翻訳解説
(著者名)村山孚・北川衛との共著
(出版年)1963年
(出版社)アサヒ芸能出版
(内容)竹中労は伝記の部分を執筆
(備考)一般的には最初の単行本と言われる
「竹中労の仕事」について
竹中労さんが何をやった人か? ということはまさしくこのブログの名前からもわかる通り、あまりにも多岐にわたるので一言では説明できないということになるかと思います。基本的にはルポライターということで、書き下ろしの本を読むということで知った方が多いと思いますが、その他に音楽と映画、さらにイベント開催やテレビやラジオなどへ出ての活動など、さすがにその全てを追うことは不可能なのではないかと思われます。
しかし、そんな中で長年にわたる竹中労さんの仕事についてまとめられた資料があることを思い出しました。ちくま文庫の「決定版 ルポライター事始」の巻末にある夢幻工房によってまとめられたその名も「竹中労の仕事」というものです。
ただ既に「決定版 ルポライター事始」も本屋さんで入手するのは難しいと思いますので誰にでもすぐ手に取れるわけではありません。そこで、この内容について一部転載することの許可をもらって、その内容をここで紹介することによって竹中労さんの多岐にわたる仕事ぶりを紹介することとともに、この内容でも漏れている仕事を見付ける方への助けになればと思って新たにこのデータ項目を立てさせていただくことになりました。
ちなみに、これから紹介する「竹中労の仕事」とは、1999年3月23日という日付でまとめられているものなので、それ以降に形になったものについてはこのデータではカバーできていません。
今後の新刊情報などの新しい内容というのはこのブログで紹介したり、今からネット検索してもわかるところではあると思うのですが、古い仕事の中でもこの資料に載ってこないものももちろんあります。何をかくそう私が一番最初に竹中労さんの書いた文章に触れた雑誌コラムが記載されていないので、今後そうした仕事が見付かった場合には未掲載のカテゴリーも作ってその中に入れるとともに、このリストに載っていない仕事についてご存知の方がいらしたらご一報していただけると幸いです。
今後は以下の内容についてデータを更新するとともに、仕事が行なわれた年についてもカテゴリーを作って時代の経過とともに仕事の変遷を見られるようなカテゴリーを付加する予定ですので、どうぞご活用下さい。なお仕事の種類別のカテゴリーは以下の通りです。一つ一つの仕事には以下の分類番号の下にさらに番号を振り、きちんと分類可能なようにしております。
01 著作
02 その他の共著など
03 単行本未収録連載
04 責任編集通信自費出版
05 音盤
06 映像
07 イベントなど
08 ラジオテレビジョン
09 関連事物
10 未掲載の仕事
竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどいに行ってきました
4月8日に山梨県甲府市の山梨県立文学館講堂で行われたイベント「竹中英太郎と竹中労父子を偲ぶトークのつどい」に出かけてきました。このイベントは、竹中英太郎記念館の主催で行われ、特に今回は英太郎さんの命日に行われたことから、挿絵画家としての英太郎さんの業績紹介に重きが置かれていました。これはある意味当然のことで、特に戦後の仕事の中で竹中労さんに頼まれたということで多くの作品を残したということが紹介される中で竹中労さんの話になっていました。
あと、やはり竹中労さんに向けられた企画としては、大工哲弘さんによるミニコンサートだったと思います。全部で5曲歌われましたが、実際に竹中労さんとのエピソードを曲と曲の間にトークで聞くことができ、最後に歌われた「とぅばらーま」では歌詞を一部竹中労さんが出てくるものに変えて、故人を偲んでいることが聞いているこちらにも伝わってきました。
今回はある意味、竹中労さんの話が聞きたいと思って来た人にとっては多少消化不良の内容になったかもしれませんが、今まで竹中英太郎さんの名前しか知らなかったという人にとってはいい機会になったのではないかと思います。
後半のトークライブのコメンテーターは、飛び入りで元一水会代表の鈴木邦男氏が登場したので、前回甲府で開かれたトークライブと4名(司会は除き竹中英太郎記念館の竹中紫氏も含めて)が同じ人選になってしまったことで、前回のトークとかぶるところがありましたが、以外にもと言ったら失礼の極みであるのですが、漫画家の喜国雅彦氏が半端ではない竹中英太郎フリークであることをご自身の発言で示し、トークでも積極的に発言していました。
特に表現者の立場として心に残る言葉ということで喜国氏が挙げられていたのが、宮崎勤死刑囚が起こした事件報道の中で、ホラービデオ規制の話題をテレビでしているとき、当時のテレビで一人のコメンテーターが
「ホラービデオということで一緒にしないでほしい。くだらないものがあるのは認めるが中には素晴らしいものもあるので、それらをまとめて法規制するのはおかしい」
というような一見ホラービデオ擁護のような趣旨のことを発言した際に竹中労さんがその人に噛み付いた「くだらないものにこそ存在意義がある」という言葉なのだそうです。どういう事かというと、竹中労さんに批判を受けたコメンテーターは自分の価値判断の中でホラービデオの中でも「素晴らしいもの」と「くだらないもの」の境界を作っていて、自分がくだらないものと判断するものにまで擁護しないのに対し、竹中労さんはそうした区別というものは自分の主観で判断することになるので、それでは法規制をする側と同じではないかということで批判したそうです。
私が竹中労さんの話を聞いて印象に残っているのは「たとえ馬の糞でも表現の自由がある」ということでした。自分の好みによって肩入れをするしないということがあるのはそれこそ竹中労さんにとってもあり、水道橋博士や樹木希林さんにとってはピンと来なかった「たま」に肩入れしたことからも明らかです。しかし、同じイカ天に出ているバンドで、単に自分に合わなかったり評論する価値もないと思ったり、さらに積極的に嫌いだと言うものがあってもそれらの表現者が迫害に遭っている状況があればそのために立ち上がって戦うと本気で言い切るだけの覚悟をもっていた人だったと思います。
そういう意味において今回のイベントにおいて一つだけ残念だったと思うことがあります。イベントの構成としては最初の1時間が大工さんのミニコンサートで、そのあとでトークイベントになったのですが、イベントの最後に会場で質問に立った人が「パネリストの皆さんは沖縄の唄を聞いてどのように感じましたか」という質問に水道橋博士が答えた中で、残念ながらコンサートは全く聞いていなかったと答えたことです。
これは、あとから読まれる方のために書いておきますが、今回のイベントの直前に水道橋博士の所属する芸能事務所「オフィス北野」において所属タレントと会社関係者の間でのトラブルがあり、その日の発言も、内容によってはネットだけでなくテレビのワイドショーを中心に拡散され、場合によっては多くの人に影響を与えかねない状況があったのです。大工さんがミニコンサートをしていた時間には現地にまで取材に来たマスコミ対応やパネラーとして同席した樹木希林さんへの説明などでいっぱいいっぱいだったということを話されていました。
しかし、竹中労さんの好きになった音楽のうち直接竹中労さんと交流があり、今後評伝を書くとしたら取材も必要になると思われる大工哲弘さんのステージをまったく見なかったのだとしたら大変残念です。せめて最後の2曲「与那国ションカネー」「とぅばらーま」だけでも聞いて竹中労さんがなぜ沖縄の旋律にこだわったのかということを考えるヒントを得てほしかったです。生で沖縄の一流の唄者の演奏を聞ける機会というのはそう多くはないので、後から御本人も悔やまれるだろうとは思うのですが、突発的な騒動のために竹中労さんのことをよく知ることができたかもしれないチャンスを失ったことで、水道橋博士の書く竹中労さんの評伝はさらに書き上げるまで時間を要するのではないかと思います(なお、私は参加していませんが打ち上げの席では大工哲弘さんが唄を披露したということなので、全く沖縄の旋律を感じなかったということがわかり、それは良かったなと思っています)。
樹木希林さんについては、今回のトークライブの時間が3時間と相当長かったこともあり、途中何も言わずにステージから消えてしまったり、最後には私がこんなに長く拘束されることはないと笑っておっしゃっていましたが、前回の発言ほどはお喋りになる機会がなかったというのが正直な見ていての感想でした。ただ、樹木希林さんにはこれからも長生きしてもらって、もっと多くの場所で竹中労さんに関する発言をしてほしいなと思います。