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terada について

学生の頃に竹中労さんの書いた文章に出会い、それから様々な本や活動に触れる中で、その考え方や行動力に憧れて現在に至ります。このサイトではそうした竹中労さんの魅力について、全く知らない人にもご理解いただけるように紹介していきたいと思っています。

竹中労さんのアシスタント石原優子さんご逝去

前回の更新で井家上隆幸さんの訃報をお知らせしたばかりなのですが、今回は井家上さんとともに竹中労さんを支え、竹中さん亡き後も竹中労さんの著作を出版するなど竹中労さんに対して尽くされたアシスタントの石原優子さんがお亡くなりになりましたのでお知らせします。

最近になって体調を崩され、入院して治療中であったという話を2018年1月末にお見舞いに行った方から聞いていたのですが、同年2月14日未明に、肺炎でお亡くなりになりました。

私自身は石原優子さんの詳しいお年は知らなかったのですが、享年は67か68という風にお聞きしました。まだ十分若いではないかと思いますが、そもそも竹中労さんが60才という若さで亡くなったというわけで、改めて竹中労さんは何という若さで云ってしまわれたのかとの想いを強く感じます。

2011年5月19日に沖縄の仲間が中心となって竹中労さんのためのコンサートが那覇市内で行なわれた時には元気なお姿で顔を出し、精力的に沖縄の歌者を中心に昔の仲間とお話をされ、映画上映会とコンサートのため沖縄を訪れていた「たま」の知久寿焼さんや滝本晃司さんともお会いになったり、「噂の真相」編集長の岡留安則氏などとも旧交を温めていたのが先日のように思い出されます。改めて故人のご冥福をお祈りいたします。

なお、この後の事については私自身も何も聞いていないのですが、今後の状況について新しい情報が入りしだい、このブログ内でお知らせします。また、今後の竹中労さんの著作権に関するお問い合わせについては、以下の所まで連絡をいただきたいとのことです。

千駄ヶ谷綜合法律事務所
〒113-0033
東京都文京区本郷3-19-4 TLC本郷706
TEL 03-5962-5991
FAX 03-3811-3771

井家上隆幸さん ご逝去のお知らせ

新聞報道によりますと、竹中労さんとは盟友として様々なお仕事に関わり、竹中さん亡き後にもご活躍なさっていた文芸評論家の井家上隆幸氏が2018年1月15日、肺炎で死去されたということです。84歳でした。

私自身は一昨年にとある会合でお会いしてお元気な姿を拝見しておりましたが、最近は体調を崩されているというお話だけは聞いておりました。今回はからずもこのようなお話を聞き、無念としか言いようがありません。

私自身は竹中労さんの遅れてきたファンのため、竹中さんがダ・カーポで連載していた「テレビ観想」目当てに雑誌を購読していたときに、井家上さんのダ・カーポや噂の真相の連載を目にし、その毎日の読書量の多さにあっけにとられ、自分自身の読書量の足りなさを嘆いたものですが、話題の本だけでなく多くの本を読まれてその書評を書かれることで、私自身の読書の指標として仰ぎ見る存在感がありました。現在の私の年齢より上で、なぜ毎日の読書量を落とすことなく続けられたのか、そう考えると全く頭が上がらない想いでした。

できれば近いうちにお会いする機会を作って私の知らない竹中労さんについての逸話をお聞きしたいと思っていたのですが、その願いが叶わずに本当に残念です。故人の冥福を心からお祈り申し上げます。

美空ひばりにジャズを歌わせた後悔と「土着」

先日ラジオを聞いていたら歌手の八代亜紀さんが出演されていて、そこでは演歌ではなく「ジャズ歌手」としての作品について話していました。パーソナリティの高橋源一郎さんは自分が一番好きなジャンルはジャズボーカルだと言って、まさに番組に来てくれたゲストに対してのホストといった感じで話を進めていました。

音楽が商売にならなくなりつつある今、いかに自分の存在を知ってもらうかというところにおいて、こうした「他流試合」をうまくこなすことで、ディナーショーやコンサートなどでも新たな客層が開拓できるでしょうし、八代亜紀さんのこうした音楽活動についてとやかく言うことはありませんが、彼女にとってはやはり同じ演歌界の大先輩である美空ひばりさんがジャズを歌っていたということも大きいのではないでしょうか。

竹中労さんは美空ひばりさんが離婚した際に、ゴーストライターとなって彼女の手記を週刊誌に発表するなどし、身内で強力なマネージャーであったお母上にも厚い信頼を得ることに成功しました。その良好な関係は有名な単行本「美空ひばり」を世に出した時に山口組の田岡組長との関係を書いたことで決裂してしまうのですが、それまではかなり美空ひばりさんの近いところにいたわけです。

そんな中で、それとなく彼女に聴くことを勧めたのがジャスで、当時の竹中さんは彼女に英語でジャズを歌ってほしいと思っていたのでしょう。その後、亡くなったナット・キング・コール氏を偲んで出した「ひばり ジャズを歌う」というアルバムではライナーノーツに解説を書いて後押ししているのです。
しかし、竹中労さんはこの事を振り返って後悔しているようなフシがあります。

(引用ここから)
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つまり、ひばりを私は誤解していたのだ。たとえていうなら、マヘリア・ジャクソンに肉迫し、融合する歌い手として。

歌と人・歌と民族・歌と歴史は、まさにわかちがたき一体として存在する。すなわち、歌とは土着であることに、『美空ひばり』を書いた当時(その方向にいちおう論理を展開しながら)、私は確信を持てなかったのだ。すぐれた歌曲を有する民族は、おのれの歌を深め、磨くことを第一義とするべきであると言いきることに、〝国粋主義〟ではないのかというためらいがあった
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(以上 ちくま文庫『完本 美空ひばり』302ページからの引用)

私ごときの音楽観と比べては竹中労さんの事を書くについて大変失礼であることは重々承知であるのですが、西洋の音楽をルーツとしない日本の音楽というのは、多種多様な面白味のある西洋音楽に比べて劣っている、演歌なんてとんでもないというような時期があっていわゆる「洋楽」というものをメインに聴いていた時期がありました。美空ひばりさんについても、代表曲は「悲しい酒」しか知らず、マスコミが山口組との黒い交際をバッシング報道し、弟も暴力団員ということで紅白歌合戦落選というようなイメージの中でしか認識していなかったのが小・中学生の頃の美空ひばりさんの認識だったのです。

引用した竹中労さんの文章を見ても、素晴しいと思ってはいても「マヘリア・ジャクソン」より上か? と言えばそこまでの歌い手ではないと思っていたのではないかと考えられるような書き方をしています。それは、やはり「土着」というものの凄さをそこまで気付いていなかったからだと思われるのです。
しかし、そうした考え方は間違っているということに気付いた竹中労さんは自己批判をし、あえて昔にひばりさんにジャズを歌わせたことについて後悔しているのですが、これをあくまでもメインが演歌であくまで「他流試合」に過ぎないと思えば、むしろ彼女の土着性を再確認できるものだとも取ることもできるでしょう。

私自身、竹中労さんの文章を読むようになって美空ひばりさんの曲についても「悲しい酒」以外の古い曲もいろいろ聴く中で自分の中での評価が変わったところがありますが、かなり強烈だった体験があります。それがフジテレビの深夜バラエティ「北野ファンクラブ」で流れる「スターダスト」で、これが「ひばり ジャズを歌う」にも入っていたのです。

このように、ジャズを歌う美空ひばりさんの歌声を聴いて、改めて彼女の演歌の作品を聴いてみた方々も少なくなかったのではないでしょうか。ひばりさんの歌うジャズは土着からは離れさせるような解釈を今になってする方もいないでしょうし、かえって美空ひばりという歌手は、日本という土にしっくりと根ざした上で他のジャンルもスマートにカバーする存在であることを示すものとして、現在も楽しんでいればいいのではないかと思います。

竹中労さんと土着といえば、もう一つの例として挙げたいのがイカ天のグランドキングを獲得した「BIGIN」の評価についてです。竹中さんは彼らが当初その味を隠していた八重山諸島の味を見抜き、高く評価していました。彼らの現在を見ると、見事にそうした土着性を楽曲に生かすことで、当時はまだ知らなかった八重山の旋律を多くの日本人の心に届けてくれたというところがあります。

こうした「土着性こそが世界に通じる」傾向というのは竹中労さんがいきなり出してきたものではないのですが、それをわかりやすい形で流行歌・ポップスの世界に出した功績は大きいと思います。現代の歌手の中にはあえてそうした土着の素性を隠したり、土着の中にある素晴しいものを現代の歌と合わせることで埋没させてしまっている人もいると思うのですが、長いスパンで見ると残っていくのは土着の文化であることは自明です。今受けるポップスというのは当座の飯の種と割り切って、伝統の凄さというものも合わせて伝えていくことも必要ではないかと個人的には思います。

竹中労さんが吉本隆明さんに返した「死ね死ね団」とは

最近のtwitterを見ていると、過去に竹中労さんが吉本隆明氏と行なった論争の中で、何かにつけて「死ね」という言葉を連発する吉本隆明氏に対し竹中労さんが言い返した言葉が出てきます。曰く「死ね死ね団みたい(^^)」(注・顔文字は筆者が付けました)というのですが、おそらく多くの方は「死ね死ね団」とは何かということはご存知かと思いますが、当時の吉本隆明氏は娘さんの吉本ばななさんに説明してもらわないとわからなかったのではないでしょうか。こうした返しができるのは実に面白いですし、今になっても評価できるような事にもなります。

わからない方のために一通り説明しておきますと、この「死ね死ね団」とは、竹中労さんのフィリピンでの日本兵の遺骨収集活動に理解を示し資金を提供したということでも知られる作家の川内康範氏の原作による「愛の戦士レインボーマン」の敵として描かれる軍団のことで、なぜ悪の軍団やゴジラまでもが日本だけを狙うのかという理由を明確にした組織だと言えます。恐らく竹中労さん自身が好んでテレビを見ていたかはわかりませんが、竹中さん周辺の若いスタッフが番組を見ていて気に入ったのではないかと思うのですが、本当のところはわからないものの、実際使っているんですからよくドラマも見ていたんでしょうね。

というのも、この死ね死ね団という組織は過去の戦争において日本軍に苦しめられた人が中心になって興し、とにかく日本という悪魔の国を粉砕するという、今で言うと北の将軍様か徹底的に反日の活動を続ける隣国の国々でまだ活動しているのではないかと思われる本当に実在しそうな組織なのです。

ここまで来て興味が出てきた方は、恐らくYouTubeで「死ね死ね団のテーマ」と検索すればオリジナルのテーマ曲が聴けると思いますので、そのあまりにも強烈な歌詞を味わっていただきたいのですが、なぜ今「死ね死ね団」なのか、不思議に思われる方もいるかも知れませんが、維新の会の国会議員の方で「朝日新聞 死ね!」と書いて炎上商法をしている人がいるのです(個人名についてはその方を利する可能性もあり、さらに時間が経過することで忘れ去られる可能性もありますのでここでは敢えて書きません)。

その方はいわゆる左寄りの論客やメディアが大嫌いなようですが、そうした言葉遣いを基本的にするということは、竹中労さんからすればその方も「死ね死ね団」の日本支部で、吉本隆明氏のような運動方針を肯定して行なっているわけで、運動方針的には大嫌いなはずの左寄りの思想人や隣国の運動方針に憧れを抱いて「死ね」を繰り返しているとすると、究極的にはかの国のスパイの可能性もあったりして(^^;)。

つまり、左右に限らずどんな思想であってもその行動に責任を持たないと、いつの間にか「死ね死ね団」の構成員として取り込まれてしまう可能性があると言えるでしょう。特に今のネット社会というのは「死ね死ね団」の構成員と思われるような書き込みであふれているわけで、個人的には左右関係なく「死ね死ね団」の構成員と思しき人々は、議論をしようとしても「死ね!」と返されるわけですから、どうにもならないわけです。

その点については簡単に「死ね死ね団」の構成員かそうでないかは見分けられると思いますので、それなりの地位に付いてしまっている問題の人物については何らかの処置が必要かとは思いますが、ネットの書き込みぐらいでは日本は征服されないと思いますので、基本的に放置がいいのではないでしょうか。

テレビ朝日「今夜、誕生!音楽チャンプ」はぬるすぎる?

アマチュアの歌手志望者や、プロの歌手でも現在低迷している方を多く出場させ、優勝者にスポットライトを当てるためのコンテスト番組といえば、古くからテレビを見ている方なら読売テレビの「全日本歌謡選手権」を思い出す方も少なくないと思います。2017年の秋から日曜夜にレギュラー放送されるテレビ朝日系「今夜、誕生!音楽チャンプ」が始まり、10月8日に第一回が放送されましたが、あくまで私が見た限りでは「全日本歌謡選手権」というよりも、イギリスのテレビオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」の劣化版といった趣ではなかったかなと思います。

多くの番組を見た方も同じように感じられた事かも知れませんが、審査員が厳しい言い方で「個性を出せ」というならば、採点の内容の半分がカラオケ採点マシンによる「譜面通りに音を外さず歌う」という採点基準を重視するのはちょっと矛盾します。ちなみに、審査員は4人いて、採点マシンが100点を持ち、各々の審査員は25点しか持てません。

論外だと判断された出場者がいても、カラオケマシン対策をして高得点を出せば勝ち抜けてしまいかねませんし、初回の採点内容を見ても、明らかに人間の審査員だけで評価すれば順位が変わってしまう場合がありました。こういう審査方法ではいくらキラリと光る才能を人間の審査員が感じた出場者がいたとしても、緊張で音を外したら他の出場者でカラオケ歌唱に特化した人には点数で負けることになってしまい、とにかく無難に歌い切った人だけが残っていくだけではないでしょうか。テレビ東京「THEカラオケ☆バトル」のように、素人で歌のうまい人を発掘するような番組の場合は機械オンリーで競う方法でも面白いとは思うのですが。

もちろん、歌唱力を評価しないで審査員の気分だけで落とされてしまうケースというものはありえますし、番組終了後のネットコメントを見ると、出場者に常に厳しい物言いをする特定の審査員についての非難コメントが続出していることから、あくまで選考は平等と説明できるカラオケマシンの採点を外せないクレーム対策というテレビ局の社内事情というものが関係しているのかなとも思えます。極端な例としては、幼少期の美空ひばりさんが加藤和枝という本名でNHKのど自慢に出て笠置シヅ子の歌を完璧に歌いこなしたにも関わらず、鐘が鳴らなかった理由が「大人の歌を子供が歌ったから」という今では考えられない理由だったという、実際に起こった話が参考になるのかも知れません。

ただ、テレビというものはその向こう側に多くの視聴している人々がいるわけで、全ての出場者を平等に歌っているところを流してくれさえすれば、合格した人と比べて明らかに審査員の意図で落とされた人の方が魅力的だった場合は、表面的でない本質的な審査員批判の声もネットを中心にして出てくるでしょう。ただ、この点でもこの番組は明らかに出場者を平等には扱わず、一部の出場者の歌唱をダイジェストで流したりもしていました。

予選の様子をダイジェストで流すのなら問題ないでしょうが、同じ土俵で競うところに差が出たら、番組自体に見せたい人の押し売りを疑う事にもなります。少なくとも今からでも番組の方針として、時間の問題があるというなら放送を複数回に分けるか全ての出場者の放送分をワンコーラスに限定するとかすべきだと思います。

この番組についてのネットの反応をひろっていくと、一部の審査員の厳しすぎる物言いに対する批判とともに目立ったのは、ある出演者の審査員や番組を舐めているのでは? と思えるような生返事のような受け答えについての批判でした。ここではあえてその方の名前出しは控えますが、厳しい批評というのは愛情の裏返しというところもあるのに、そうした厳しい意見を聞いているのかいないのかわからないような受け答えというのは、テレビで放送されてしまえば本人への批判という形になって帰ってくることがわからないという点で本人が批判される点はあるでしょう。しかしその前に個人的に番組に問いたいのは、それこそ番組で出場者に審査員が問うていた言葉ではありませんが、

「あなた方はこの番組で何を目指しているのか?」

という事です。基本的に初回の出場者というのはいわゆる「過去の人」になってしまっていた歌手が、歌手として再び日の当たる場所へ出て行くためのワンステップというようなコンセプトを出していました。ただそれにしては批判を浴びた出演者以外にもテレビの画面を通して見た限りですが、真剣さが見えずにヘラヘラ笑っているばかりの人もいて、もし竹中労さんの出ていた「全日本歌謡選手権」なら、竹中さんが収録を途中で遮ぎるように大声を挙げて、審査の対象にすらならずその場から帰ってもらうような類の暴言を浴びせていたように思います。当然ネット上では「あの竹中労というのは偉そうに何様だ。自分で歌えるのか」というような非難が集中したかと思いますが(^^;)、少なくともそのくらいの事をやらないと、出演者が真剣に番組に臨んではくれないのではないかとも思うのです。

もしかしたら、番組スタッフが出演者の面々に「全日本歌謡選手権」ばりに厳しくやるからというコンセプトを説明しないで、「新たな一面をこの番組で出してみてください」というようなぬるい説明で現場に出している可能性もあるのではと思っています。もしそうしたぬるい雰囲気で出演交渉をしていた場合、むしろ番組の意図と出演者の意図にずれがあったことによって起こった部分もあったとしたら、安易に出演者のバッシングに結びつける前に、番組自体の存在意義というものをもう一度問い直した方がいいような気がします。

それこそ、「全日本歌謡選手権」のような番組が今の日本で成立しえなくなった理由というのは、プロダクションの力が強くなり過ぎて、どれだけ歌唱力があって魅力的な人材がいたとしても弱小プロダクションでは評価される事も難しいほど大手プロダクションの圧力が強いからに他なりません。こういった話は昔の芸能界に限った話ではなく、今でもあからさまに「差別」されたのではないか? とされる話題には事欠きません。何よりもこの番組自体、大手プロダクションのジャニーズ事務所がからむ『関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王NO.1決定戦』から派生したような番組であるわけで、今後に期待するのは厳しいかも知れません。

(2017.11.20追記)

前日の11月19日に、第二回の放送を見させていただきました。前回の分は第一回の放送を見ての感想でありましたが、第二回目から1ブロック6人の予選を行ない、準決勝、決勝という流れで盛り上げて優勝者をデビューさせるということになるということがわかりました。ただ、前回の放送から変わった部分もあります。

まず、審査員を一部変更し、さらに前回比較的強い調子で出演者に対して厳し目な言葉を掛けた審査員の方も出ていましたが、第二回目については総じて荒々しい酷評すらなくなり、びっくりすることに、敗退した一人の出演者には「歌手もいいけどミュージカルに向いている」とその人に合った新たなステージまで紹介してあげるという優しさに溢れた話ばかりで、前回のような厳しさは影を潜めていました。これはもしかしたら、思いの外ネット上で反感が生じたので軌道修正したのか? とも思えてしまいました。

さらに、審査員が技術的な講評を行なった場合、ご丁寧にVTRで直前に歌った出演者を流し、どの部分のどの歌い方をどのように修正すればもっと良くなるということを出演者だけではなく、視聴者により分かりやすく見せるという演出がされていました。これは、オーディション番組としての面白さと、カラオケをうまく歌いたいと思っている視聴者のためのカラオケ上達番組としてテレビ東京の「カラオケ★バトル」との差別化を狙っているのかと思います。

ただそこにあるのはいかに多面的に視聴者からの支持を得るかというスタッフの思惑ばかりであり、本気で世の中に眠っている才能を掘り起こそうとしているのかという疑問も出てきてしまいます。

ネットでは合格者の中にプロの歌手がいたということで、アマチュアとは違うのだからプロは出さない方がいいというような声も見付けることができましたが、「プロ」だから全てが良いというわけではありません。むしろプロとして凝り固まった歌い方や考え方をしていて売れないからこそ、この番組にプロが出てきているととらえると、本気でスターになりたいなら、プロよりも才能を認められ敗北に追い込むくらいの人が出てこないと面白くないでしょう。

どちらにしても、この番組では優勝したとしても、芸能事務所の中で「歌」が必要な時に駆り出されてこき使われるだけの歌い手としてのニーズを補充するようになってしまう可能性すらあります。今はYouTubeで自分の才能を発信することもできるわけですから、出演される方もこうしたテレビ出演の機会をうまく使って、自分のYouTubeチャンネルに人々を誘導するための手段として使うように考えた方がいいのかも知れません。

竹中労的「選挙必勝法」?

またぞろ、選挙の季節がやってきました。衆議院を解散して野党から浴びせられる非難については耳も貸さず、対抗として野党第一党の民進党のスキャンダルが噴出し、さらに自民党よりも右側の思想の人が集まった「希望の党」に多くの議員が引き抜かれるなど、野党連合がガタガタになりそうな中、一気に解散総選挙を選んだ安倍自民党の動きというのは批判は大いにあるにしろまさに電光石火のごとく見事なものでありました。

このままでは自民党が議席を奪われるのは主に「希望の党」に限ってのことになるでしょうから、選挙の後の国会では「自民党」「公明党」に「維新の党」という今までの連合に「希望の党」が加わり、安倍自民党とは意見を異にする野党の言動は全く届かないほどに勢力を落とし、保守勢力は今まで以上に好き勝手を行なえる環境が整うでしょう。

そうなれば憲法は保守勢力の都合のいい方向にのみ向かって改正され、日本の状況はさらに反体制勢力にとっては厳しいものになっていくに違いありません。そうならないようにするには、今の世の中では選挙で勝つしかないのですが、具体的にどうすればいいのかということについては、すでに答えは出ています。

たまたま過去の竹中労さんの書いたものを読んでいたら、ちょうど当時の社会党が参議院選挙で「山が動いた」ことで大勝した後の体たらくについて書いた文章を見付けました(ダ・カーポ「テレビ観想」第十二回 夢坊主辻説法(2)社会党パチンコ政権のゆめ!?)。今回はその内容について紹介しながら、反自民勢力が早めに仕掛けた自民党に一泡吹かすためにはどうしたらいいのかということについて考えてみたいと思います。

まず、当時の社会党がその支持のよりどころにしていた「連合」との決別を勧めています。

(引用は上記ダ・カーポの連載からです。以下引用)
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少なくとも、労働組合のヒモツキであるかぎり、社会党は永久に半身不随の跛行を続けねばならない。戦後階級構造の変容に対応できず、若者の心を捉えるユトピアを描くこともできない。“革新”を保守する(誰のために?)、逆説的ジレンマに落ちこんでゆくのみである。
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(引用ここまで)

まず民進党が行なわなければならない事は、すぐには無理でしょうが、将来的に労働組合に頼らないという「しがらみからの脱却」であることは間違いありません。他の党が「連合」からの支持が欲しいならくれてあげればいいだけの事です。確かに組織からの支持は一時的な票数は伸ばしてくれますが、同時に組織が行なうことは、その見返りを党に求めることです。そんな形で民衆の必要とする政策より組織からの要求を満たしてしまうなら、やっている事は単なる利益誘導になり、自民党と変わらなくなります。

そして、多くの現政権に素直に政治をまかせられないと思った人の中には、議論の途中で強制的に話を打ち切り、強行採決と野党の人たちが呼んだような「多数決にこだわった政治決定」に不安をおぼえたのではないでしょうか。その後、多くの政権に対する疑惑について話を向けても、一切まともに答えようとしない中、疑惑は解決したとされてしまうのも同じような数の論理であると思えることも多いでしょう。

こうした強引な国会運営が許されるというのは、どれだけ少数の野党が抵抗しても、最終的に衆議院の多数を与党が占めていて、絶対に揺るがないという自信があるからに違いありません。そうなら、選挙で勝って数をひっくりかえすか、そこまで行かなくとも議員の数を拮抗化することで、野党が力を持つことであると言えるでしょう。

そんな中、もう一つ竹中労さんがおすすめしている選挙必勝法があります。この方法については羽仁五郎氏や大杉栄氏の言葉や書いたものまで抜き出して紹介しているので、かなり昔から言われてはいるものの、なかなか行なうことができない方法です。と言っても話は簡単なのですが、まずは竹中労さんはこの文章を書いていて目にした1989年の京都市長選挙の結果について触れています。

(ここから引用)
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例えば、京都市長選挙を見よ。社会党は単独で惨敗をした、衆議院でも枕を並べて討死? そりゃアベコベ、共産党こそ京都最強の野党、自民党に三百二十一票差まで詰めよったのである。
社共連合を組めば圧勝疑いナシ、民衆の選択は賢明であり、愚かなのは統一戦線をずっこけた地元社会党だった。
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(引用ここまで)

選挙の結果についてはインターネットで調べることができますが、その当時の選挙では9人が立候補していますが、まさに竹中労さんが書いている通り、共産党が推薦した木村候補を社会党が応援していれば321票というのはまさに誤差とでも言うべき差でもありますし、確実にこの選挙を勝つことができたでしょう。当時は同じ革新でも共産党とだけは組みたくないという感情を強く持った人が多かったのでしょう。しかし、そうした面子にこだわるような人達に党が支配されているのだとしたら、全てが市長選と同じ一人区である衆議院選挙で勝てるはずはないのです。

この点については竹中労さんは自らの言葉ではなく、羽仁五郎氏と大杉栄氏の言葉を紹介していますので、その言葉を紹介します。

(引用ここから)
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故羽仁五郎、かく語りき。「議会政治とは一種の賭博である。自民党を倒すことは簡単だ、選挙で最大の野党に票を集めれば、情況は一夜で変わる」「倒してからどうするだって? 愚問だよキミ、それはそのとき考えればよい」
(中略)
アナキスト大杉栄いわく、「統一戦線の綱領はゆいいつ、敵目標の一致であって、思想や主義の統制ではない」(トロツキー『統一戦線論』批判)。
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(引用ここまで)

2017年現在の状況は自民党の一人勝ちとなっており当時とは状況が違うものの、反自民の意見を持つ人が投票できる候補を全ての地区で作ることができなければ、対決にすらなりません。そういったことは、改めてここで書くまでもなく過去の小選挙区の選挙結果を見れば明らかで、こんなかんたんな「算数」が理解できないまま野党勢力を分断する形で候補者を擁立する党というのは、もし政権を取ったとしても「予算」の計算すら出来ないのではないかと皮肉の一つも言いたくなると言うものです。

今回の選挙について、直前に小池百合子氏を党首にいただく「希望の党」が出来、各政党から新党に移る人達が出て来たことは、かえって反自民を掲げる人達にとっては好都合に作用するのではないかと思っています。私自身は小池氏の人となりを詳しく知っているとは言えないかも知れませんが、たまたま見たテレビ番組での様子によって、どんな性格の人であるかということが、テレビの画面を通じて強烈に伝わってきました。

そのテレビ出演が面白かったのは、番組は生放送ではなく、後から都合が悪いと思っていればいくらでも訂正させることも可能なテレビ東京系の「開運なんでも鑑定団」で起こったエピソードであるということです。小池氏は自信満々にお気に入りのペルシャ絨毯を鑑定に出しました。希望価格こそ10万円と控えめでしたが、鑑定の結果として80万円と希望額よりかなり上がったのにも関わらず、鑑定をした人に延々とクレームを付け続け、納得しないまま鑑定のコーナーが終了してしまいました。この番組でこんなにごねて自説を曲げなかった人を見たのは初めてだったので、ちょっと番組を見続けるのがつらくなってしまったことを覚えています。

鑑定士の方の説明では、小池氏の持って来た絨毯はイラク王国がイランに発注して織らせたものではないかとの見立てだったのですが、鑑定前まで小池氏はこの絨毯はイラクで織られた珍しいものだと堂々たる主張をしていたこともあり、自分の見立てを全否定されたことに我慢がならなかったのだろうと思われます。

個人的には番組を見ていて、かなり評価額も高かったですし、正式な鑑定というよりもテレビのバラエティ番組の事なので、笑ってそのままありがとうございましたで終わった方がよっぽど有権者への印象も良くなったのではと思うのですが、この方はとにかく自分の意見と違った事を言う人を許せない人なのだなと感じました。ちなみに、私が見た放送は、地上波による本放送からかなり後に再放送されたBSでのものだったので、小池サイドが都合が悪ければ申し入れて再放送させなくする事もできたのではないかと思えますが、これも恐らく小池氏サイドは地上波のバラエティ番組での事だからと高をくくっていたのかも知れません。

ともかく、個人的には小池氏の人となりとして、他人の言う事はなかなか聞いてくれなそうな自分の好きな人物とお見受けしているので、今後の希望の党に参加した多くの議員も、小池氏が政界でのし上がるためのコマとして使われるだけではないかと、折角移ってきた方には悪いですがそのように思えてしまいます。

恐らく、このように考えても実際に反体制の戦いを実行できない可能性の方が今回も大きいのではないかと思っているので、残念ながら状況は悪くなることはあっても良くなることは考えにくいでしょう。ただしっかりと基本を抑えて反体制の戦いを律儀に行ない続けることで、状況は変わってくる可能性はあります。そんな先人の知恵を生かすことは今後実現できるのでしょうか。

(2017年9月28日追加)

ここ数日で政党間の駆け引きで状況が変わってきたこともあるので、補足的に書いておきます。先に挙げた労働組合の「連合」が裏で糸を引いたかのような報道もありますが、民進党党首の前原誠司氏が小池百合子氏の立ち上げた新党とまるまる合流するという流れになっています。

そうなると、民進党の中の自民党的な考え方に近い人達は自ら進んで新党に合流することだけは確かでしょう。当然ながら支援団体の「連合」も新党の支援に回るはずで、竹中労さんの言う「労働組合のヒモツキ」状態から逃れられるとホッとしている方もいるのではないでしょうか。

また、民進党が新党に合流する理論として、ここで羽仁五郎氏や大杉栄氏の言ったり書いたりしたことになぞらえたもっともらしい事を言っていますが、その言が本心からなのかそうではないかということは、選挙の終わった後に徐々に明らかになるでしょう。

新党が自民党の補完勢力であるとしたら、二大政党になるか大連立になるかはわかりませんが、自民党と新党がくっついて、徹底的に反体制派を潰しに来ることも考えられます。その時こそ、多くの人がどちらの制作がいいのかということを単純に比較して判断できるような選挙になるでしょう。残念ながら、今はまだその時ではないと言えると思います。

問題は、今の保守勢力に異議を申し立て批判する一同が、いかに我慢して将来の勝利のために地を這いながら地道な努力をすることができるかということにかかってくるのではないかと思います。選挙の時期になるとどうしても勝ち馬に乗って楽に勝ちたいと思ってしまうのは人情です。しかし、逆境の時に誰に従い何をしたかということは必ず後には報われると信じてやるしかないでしょう。

竹中労さんもあれだけ革命を夢見ながら事が成らずに終わってしまったわけですし、少なくとも歴史を紐解いた時に「悪宰相」だとか「平成の裏切り者」などと揶揄されないような行動を取っていただきたいと、良識ある方に向けて今後とも訴えていきたいです。

「にゃんにゃん共和国」を読む その3 俳諧的なものへの反感

この回の書き初めは、なぜか松尾芭蕉の一句から始まります。学生の頃に書いた作品鑑賞の内容をめぐり、正解ではないとされた独自の解釈により出した結論は、高尚とされた俳諧精神への反逆でした。

(ここから引用)
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芭蕉というやつはろくなもんじゃない、何が神明の加護あるべしだ!(「一家に遊女も寝たり萩と月」と詠んだ句の中で出てくる同宿した二人の遊女に同行を頼まれて断ったくだりでの話)かくて俳諧精神なるものに、少年は大いなる反感をいだいた。
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(引用ここまで)

こんな風に、素直に「にゃんにゃん共和国」の住ネコの紹介から始まらないのは、50匹以上の猫達(執筆時には58匹)と同居することによって起こる、シャレにならないエピソードの数々にさすがの竹中労さんも気が重くなったからでしょう。子供を産んだばかりの親猫が、子供が育たないと判断してその子の命を絶ってしまうという本能を人の手によって助けられなかったり、元気な若い猫が急にいなくなったと思ったら、鉄道軌道に入り込んで絶命してしまったり、不妊手術を受けさせようと思っている時に他人の家まで出張してすぐまた妊娠して子猫を産んでしまうという雌猫が起こす状況への嘆き、さらにその猫が他所様の家の中で子を産んだ猫が掛け軸の表装を破ってしまい、それを元通りにするための金銭的負担が出たことなど、原稿を書いてお金を捻出するしかない当時の竹中労さんとしては、じくじたる想いがあったことでしょう。

もっと言うと、当時は映画「戒厳令の夜」プロデューサーとして莫大な資金を捻出しなければならなかった時期も重なり、とても本連載の原稿料だけでは共和国の猫達を扶養することはできない中で、かなり重苦しい状況が伝わってきます。そこで最初の芭蕉の句に戻るわけですが、句に詠まれた遊女たちは芭蕉に女二人で伊勢を目指す旅をするのは大変に心細いので(芭蕉が泊まった宿までは道案内をしてくれる人がいたのですが、宿からの旅は二人だけの道行となるため)、何とか芭蕉たちの一行に加わらせてくれないかという切羽詰まった願いを述べたのですが、芭蕉はその願いを断ったことも含めてそこまでの状況を記録し、さらにその日の想いを詠んだ一句を今の世にまで残したというわけです。

もちろん、芭蕉が書き残したからこそ私たちは当時の様子や芭蕉の句を鑑賞できるわけですが、当時の遊女といえば身分としてはかなり低い存在だったわけで、そうした人を見捨てるかのような(もちろん断わった理由はちゃんとあったという解釈はあっていいとは思いますが)、芭蕉を当時の世間と比較してまさに”人情紙風船”というようなやるせなさを感じていたのではないかと想像することができます。

この連載は「猫の手帖」という猫を愛する人が好んで買って読む雑誌に書かれたものであるため、共和国に暮らす一匹一匹の猫について細かく記される様子というのは好評であったろうと思われますが、細かいそれぞれの猫のエピソードについてまではここで紹介することはできないことは申し訳ないと思います。ただ、今こうした竹中労さんの箱根にある猫屋敷の生活をひもといてみると、今も昔も一人の理想だけではどうにもならない状況というものは存在すると思えてしまうのです。

今回の文中の最後に、竹中労さんがこの連載を読んだ読書から匿名でのキャットフードの支援に素直に感謝するという一文に加えて、どうか匿名にしないで送ってくれ、いつかはお礼をする気はあるという事も書いています。この後の共和国の動向を考えるに、ちょっと気になる記述なのですが、その結末はまた改めて紹介します。前回から少し間が空いてしまいましたが、最後まで続けて紹介しますのでよろしくお願いします。

竹中労さんの命日に寄せて

本日2017年5月19日は竹中労さんがお亡くなりになってからまる26年ということになります。その日に生まれた子が一端の社会人として活躍しているような年月が経ってしまったわけで、実際に竹中労さんをテレビでリアルタイムに見たり、実際に講演などを聞きに行ったりした人の中では、恐らく「たまの本」の読者の小学生あたりが最年少だと思いますので、少なくともアラフォー世代くらいにならないと直接竹中労さんの事を知らないということになります。

さすがにこのブログを読みに来て、竹中労さんのことを知らない方はいないと思いますが、なぜ竹中労さんは亡くなってかなりの年月が経った後でも今だに語られる人であるのかということについて、命日であるこの日に考えてみようと思います。

まずは、私がこのブログを立ち上げたコンセプトを見てもらえばおわかりかも知れませんが、この竹中労という人は一律に「こんな人だ」という風に割り切れないところがある人だということがあります。

「たまの本」で初めてその名前を知った人にとっては、単に深夜放送のグランドチャンピオンに過ぎなかった「たま」というバンドを、そのような音楽に理解があるとも思えない上岡龍太郎さんにまで「たまの本」を読むと番組内で言わせしめるほどの社会に対する影響力がある音楽プロデューサーとも音楽ジャーナリストとも思えたかも知れません。

ただ、竹中労さんが「たま」の事をプロデュースまがいに応援するようになったきっかけというのは、単に他の人と同じように深夜放送を見ていて、そこで見たことをもとにして雑誌「ダ・カーポ」の「テレビ観想」という連載に書いたことがきっかけになったに過ぎません。

ルポライターと初めに称したのが竹中労さんということで、今でも読まれる数多くの本があり、竹中労さんを物書きと思っている人もいるでしょうし、またある時は政治や社会に対して大きな色で物を言うコメンテーターであり、さらには過激派の黒幕と思っている方もいるでしょう。

竹中労さんはそうした様々な肩書を嫌い「よろず評判家」と自分の事を称しましたが、私がそうした竹中労さんの姿勢を見て思ったのは、自ら発信する言論人ではあるものの、その立ち位置としては決して上から目線ではなく、テレビを見たり音楽を聴いたり、新聞や雑誌を読んだりする人の側に立った立場で発言をしているということです。

話は「たま」の話に戻りますが、音楽プロデューサーと言えば、実際に作詞作曲をしたり演奏の経験があるなど、それなりの音楽に関わる経歴がなければ大きな声で物を言うのは難しいのではと思うのですが、ぱっと見どう考えても演奏家でも歌手でもない竹中労さんが技術論など関係なく「たま」の音楽性を賞賛し、世間の多くがそれに追随したのはなぜなのでしょう。それは、過去にインテリ左翼が「物笑いの種となる」と軽んじたと言われる美空ひばりさんを早くから絶賛し、あのビートルズについても、まだ海の物とも山の物ともつかないうちから評価し、それがどちらも素晴らしい音楽家であるという事が広く定着したからに他なりません。

つまり、音楽を楽しんでいる中でその評価をする場合、決して楽器ができなくても、人の前で唄を歌って評価を得なくても、優れた耳と感性さえあれば他人の意見に迎合することなく大きな声で主張することができるということを私に教えてくれました。

私自身音楽の専門家ではありませんが、自分の好きなものを好きだと声高に語らせていただけるのも、こうした先達の方がいらしたおかげです。さらに竹中労さんはその博識さで、音楽の話をしながらでもそれがいつの間にか社会全体の話としてまとめられ、時空をこえた形で全面展開される時の竹中労さんというのは、実に話が面白く、その内容は今もYouTubeで見ることができます。

そんな竹中労さんの素養の中で私が大変羨ましいのが、経歴の中でいつ勉強したのかと思われる漢文に関する知識です。最近読んでいる「にゃんにゃん共和国」の中でも中国の漢詩の一節から現代にも通じる道理を導き出すような記述が見られますし、こうした竹中労さんの書いたものを読むだけでも、現代の私たちにも漢文の知識および中国の古典を学ぶことの意義というものを感じるわけですが、最近の中国と日本の関係の中で本来は関係ないはずの優れた中国の古典を学ぶ必要なしと切り捨てる方もいて、そんなニュースに触れるたびに竹中労さんの文章を逆に思い出したりしてしまいます。

竹中労さんは常々、「状況分析は悲観的に、運動方針は楽観的に」ということをおっしゃっていましたが、まさに未来を展望する中において、こうした状況分析と運動方針について考えつつ、今いるところから少しでも進んでいく努力をすることが必要であるなと思います。このようなブログでも、確実に書く内容について好きなことは書けないようになっていくのかも知れませんが、自分で書きたいことを制限のある中でいかに表現していくかということも考えながら、今後もブログを更新していこうと思っています。毎日更新するようなブログではありませんが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

「にゃんにゃん共和国」を読む その2 66匹に増えた猫を養うため山を降りる?

竹中労さんの著作を読まれている人にとって、その生活における猫の比重はどのくらいのものであったかというのは、このルポに登場する「にゃんにゃん共和国」でネコの世話をしている方や、オンタイムで「猫の手帖」を読んでいるかしない限り、実感できなかったのではないかと思っています。

ともかく、ルポの内容を読んで行くと、急に屋根裏に入ったと思ったらいきなり出産することを繰り返すネコの話も出てくるので、竹中労さんのサイドで去勢手術などしないで飼っていることも類推されます。そんな風に多産系のネコが子を産んで増え、さらに前回のルポで「箱根の猫屋敷と言えばタクシーですぐに行ける」などと書き、さらには大体の住居の場所も匂わせているものだから、あえて竹中労さんの自宅にネコを捨てに来る輩も出てきたりして、第2回の冒頭から、にゃんにゃん共和国は前回より10匹も増えた66匹のさらなる大所帯になったことが書かれています。

相変わらず家にやっては来てもなじめないで脱走するネコの捕獲に人員が割かれるも、エサ代も捻出せねばならず、さらにはにゃんにゃん共和国管理人として、仕事をしながらも共和国在住のネコたちの機嫌も取り結んでいかなければならない(管理人としては共和国住人のネコに無視されたくないから?)となれば、当然のごとく仕事にならず原稿料も出ないのでたちまち共和国崩壊の危機に陥り、竹中労さんは山を降りて仕事中心の生活をしなければならなかったということになります。さらに言うと、ネコにとっては一番の苦手である冬の寒さによって風邪をひくと、これもまた費用のかかる動物病院のお世話になることで、竹中労事務所の負担は更に増えていくことへの嘆きも書かれています。箱根で暮らす竹中労さんにとって秋から冬へと変わる季節というのはまさしく魔の季節だったということでしょう。

ただ連載の方はそうした当時の状況とは別に、個別のネコについての紹介もあります。ただ66匹もいると、皆従順なわけでもなく、仕事をしてネコのエサ代を捻出しなければならない身からするとうんざりすることもあると言います。しかし竹中労さんはこうも書いています。

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ズッコッコ(共和国在住のネコの一匹の名前)の場合は、いささか痛ましくすら思え、とりわけ深夜に咆哮されると、カンシャクと不愍(ふびん)がいっしょにこみ上げてきて、いたたまれなくなるのだ。六十六匹もいる中には、こういう頭の煮えたやつがいて当然、「にゃんにゃん共和国」のそれは一つの与件なのである。
(猫の手帖2号 1978年12月)
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この内容をネコのコロニー内だけのことと考えてはいけません。人が集まる中でも同じように気の合う人もいれば見ただけでムカつく人もいます。そんな中共同生活をしていくためには上記の竹中労さんのような大いなる寛容さも必要になってくるというわけです。

私たちの生きる社会においても、中には肉体や精神に問題があり、なかなか社会になじめない人達もいるわけですが、そうした人を排除して仲間内だけで固まって共同体を作ったとしても、その小さな共同体の中でまた問題が起こってくることは間違いないでしょう。実際に自分の中で軽蔑することもあるかもしれませんが、その上で理解しようと努めることもまた共同体を構築するためには必要なことなのです。

このように、当初全く懐かないようなネコを辛抱強く接しているうちに馴染んでくる様子を猫キチ目線で描いている部分についてはぜひ実際に竹中労さんの文章にあたって欲しいですが、さらにここで革命家の面目躍如と言いますか、ここで更に「ネコのための革命」論を全面展開するのです。現状では目下の66匹のネコの生命を守るために山を降りて仕事をすることになるものの、日本全国、全世界の捨てられたり虐待されているネコのためにも革命を起こさねばならぬというわけです。

現代のペット事情というのほ当時とはかなり変わり、昔のように当たりかまわず犬やネコを捨てるような事は見なくなりました。しかし、今だに野良犬や野良猫を虐待する人はいますし、広場で暮らすノラネコに無断でエサをやることが問題になるなど、解決しなければならない事は数多くあるでしょう。人間とネコが共存して暮らしてゆくためにはやはり人間の社会を変えていくことが不可決であると竹中労さんは教えてくれています。

「にゃんにゃん共和国」を読む その1 56匹の猫と箱根で暮らす?

竹中労さんが猫好きだったということは猫と戯れる様子の写真から広く知られているとは思うのですが、箱根町宮城野に居を構えてから、「にゃんにゃん共和国」と称した猫のコロニーがあったことを知っている人は、特に新たに竹中労さんのことを知った方にとってはちょっとびっくりする事かも知れません。1978年8月に原稿が書かれた「猫の手帖」1978.10の第一回目の連載には、同年8月現在には総勢56匹という「猫系図」が紹介されています。

なおこの「猫系図」については隔月刊の雑誌発売時にどんな変化があるかということで、連載の中には必ず1ページを使って紹介されています。なぜこんなに多くの猫が竹中労さんと一緒に暮らしているかというと、元からいる猫が子どもを産むこともあるのですが、ノラの子猫を保護してきたり、竹中宅が猫屋敷だと言うことを知ってのことだろうと思うのですが、何の愛情もなく捨てていく不逞の輩が残していった猫も引きうけているからなのであります。

第一回目の「猫たちに無限の自由を!」にも、そうした人間の動物愛護精神のかけらもない、ひどい猫の捨て方に言及しています。無抵抗の子猫を自ら逃げ出すことができないように箱に紐を付け、ゴミ捨て場に放置していたものを、6匹のうちそれでも何とか2匹の命を取り留めることに成功するのですが、このようにして竹中宅にやってくる猫がいて50匹以上に増えてしまったのでした。

最近では動物愛護法に抵触する行為をしたことがニュースになる時代でもあり、あからさまに猫を捨てる人は少なくなったかとは思いますが、竹中労さんはそうした人間の所業を強く戒めます。本文の中から少し紹介しましょう。

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とりわけて、子供にネコを捨てろと命ずる親たちを、吾輩はおぞましく思うのだ。人の生命だけが尊厳であり、生きとし生ける者も差別して、就中はっきりと表情を持ち、魂を持つ生命を平然と奪う惨心を、わが子にうえつけていることに、親たちは気がつかぬのである。(1978.10「猫の手帖」1号より)
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この文章の前に、竹中労ファンならご存知夢野久作の「春の夜の電柱にもたれて思う……」から始まる一節を出しています。人と人との争いには理由があるものの、全く心の痛みも感じず人間同士のやりとりになることは稀です。しかし、それが人間でなく猫や犬に対象が変わったとたん、冷酷な仕打ちを押し付けるような教育を親が子供に対して当時していたとしたならば、平然と人を物理的にも精神的に傷つけても何の感情も表さず反省もない大人が今のこの社会にうようよいることにもなるのですが。

その後、話はまた竹中宅内「共和国」の猫の話に戻るのですが、傑作なのが仲間の猫が嫌いで、屋根裏に隠れるようにして生活しているものの子育てをする時だけ降りてくるゴッドマザー猫の困った行状に対しての人間たちの騒ぎっぷりです。子育て後になぜか我が子に家出を命ずるのが常なのだそうで、そのたびに共和国世話役のアシスタントの方が先頭に立ち、子ネコの大捜索が行なわれていたのだそうです。

これも竹中労さんの本を読んだり当時の仕事などをご存知の方からすると、箱根の家で仕事をしていた時も公安警察が竹中さんの動きを監視しており、あの人は赤軍派の黒幕だからと近隣住民に吹き込んで協力を得ようとしていたこともあったかも知れません。しかし、こうした公安の目論見は失敗に終わったと竹中さんは書いています。その部分をここで紹介しましょう。

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「ネコをあんなに可愛がっている人が赤軍であるはずがない」と、むこう三軒両隣りで大いに弁護を(!)してくれたことであった。最近では宮城野のネコ屋敷といえば、タクシーが二つ返事で客を運んでくれるのである。(1978.10「猫の手帖」1号より)
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一匹や二匹なら過激派が姿をかくすためにカモフラージュしているということはあるかも知れませんが、少なくとも迷い猫・捨て猫・野良猫を保護してきて50匹以上のコロニーを作るなんていうことは、たとえ過激派との接触があったとしても、「黒幕」という風にとらえるのはそれこそ公安だけだったことでしょう。竹中さんのお宅で生活しているネコはネズミを捕るだけではなく、公安すらも遠ざけてくれたというのはなかなか面白い話です。