島唄紹介のパイオニアとして紹介「朝日新聞」

2016年10月25日朝日新聞朝刊の文化・文芸欄にTHE BOOMで活躍された宮沢和史さんが行なっている沖縄の民謡保存活動について紹介されていました。宮沢さんと言えば、沖縄島唄への憧れを曲にしたその名も「島唄」が国内だけでなく海外でもヒットし、今に続く沖縄音楽のブームの一翼を担った人としても知られています。

20161025朝日新聞

ただ、記事には書いてありませんでしたが、その曲の題名を「島唄」と付けてしまったため、広くこの曲がヒットしても、本来は沖縄の民謡全体の呼び名である「島唄」という固有名詞を特定の曲の名前として一人立ちさせてしまったことへの反発も当時からあったようです。というのも、この辺の事情を知らない沖縄にやってきた観光客から、「島唄を唄って」と言われた場合、それが一般的な沖縄の民謡を指すのか、宮沢氏の作品の方なのかわからずにトラブルになったこともあったかも知れません。

しかし、単なるヤマトンチュ(沖縄の人たちからみた県外の人たち呼び名)のお遊びではなく、それ以降も地道な活動で沖縄との付き合いを宮沢氏が続けていったことにより、現地の方の協力も得ながら、今回紹介された沖縄民謡の録音による保存活動へとつながっていったようです。

ただ、やはり沖縄には沖縄のしきたりというものがあって、多くの唄者に協力を呼びかけて賛同してもらうことがこのプロジェクトが成功するかどうかのカギになっていたことでしょう。そんな中、この記事の中でキーマンとして名前が挙がっていたのが地元のレコード会社「キャンパスレコード」社長の備瀬善勝氏です。

宮沢氏の活動に協力を呼び掛けたのは、過去に沖縄にやってきて島唄にしびれ、唄者にはきちんとギャラを出してレコードを録音し、熱心に本土に紹介した竹中労さんのことを思い出したからだと記事では書かれています。こうした支援の結果、245曲・CD17枚組という「沖縄 宮古 八重山民謡大全集」にまとめ、2016年11月に発売するだけでなく、沖縄県内の学校や図書館など約500ヶ所に寄贈する見通しが立ったということです。

今回紹介した宮沢和史さんと竹中労さんとは直接の関係はありませんが、もし竹中労さんが元気な時にインターネツトを使ったクラウドファンディングなる仕組みがあったら(今回の宮沢氏のプロジェクトではこの仕組みが使われたとのことです)、大手の企業が食い付いてこないようなマイナーな企画でも何とか資金面での援助を受けてもっと色んなことができていたのではないかと夢想することができます。

ただそれも、最初に竹中労さんが沖縄に入って唄者の信頼を受けるまでにかかった労力を考えると、今こうやって沖縄の音楽を普通に聴ける環境ができていること自体が大切な宝のようなものだともしみじみ思います。個人的にも竹中労さんが行なった功績の一つとして、決して忘れないようにしたいものです。

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