竹中労の基礎知識」カテゴリーアーカイブ

このブログのメインコンテンツです。竹中労さんに関する様々なことを、分類しながら書き連ねていきます。

竹中労さんが坂口安吾から受けた影響

竹中労さんは若い頃に「坂口安吾にしびれ」と書いていたことがあり、私自身も坂口安吾の本をよく読んでいたのでシンパシーを覚えたということがありますが、雑誌や単行本に書く文中でも坂口安吾氏の文章を引き合いに出すこともしばしばありました。そんな中、割と多く見掛けたものの中に有名なエッセイ「続堕落論」の中の一節があります。

坂口安吾『続堕落論』(青空文庫版)から引用
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政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である。(中略)人間は常に網からこぼれ、堕落し、そして制度は人間によって復讐される。
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竹中労さんが政治を語る際に多く出てくるフレーズですが、どんなに政治家が新たな制度を作っても、その流れに乗れないあぶれ者はおり、そのあぶれた者の中から批判を浴びたりした場合、政治とは永遠の修正作業というところもあるので、そうした意見に耳を傾けながらそれなりに網を修繕し続けることができるのかということがいつの時代の政治にも問われていると、坂口安吾が指摘している部分です。安吾は、その復讐は誰がするかという点については、同じ「続堕落論」の中でこう書いています。

坂口安吾『続堕落論』(青空文庫版)から引用
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文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。
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政治とは一定の距離を置いていたように思える坂口安吾がこのように書くのも、人間として良く生きるためにどうしたらいいのかと考える中で、単に社会制度を整備しただけでは人間の生活は良くならないと思うがゆえに、すぐには変えられない事はわかっていても問題点を挙げ、修正を繰り返すことによっていくらか「まし」なものに変えていこうとする政治に対しての援護射撃を文学がしていると思っているからこそです。よく、文学が生活の役に立つかという問いに対する安吾なりの意見であるとも言えるでしょう。

竹中労さんも革命家として本気で社会を変えようと様々な仕掛けをしたことも確かですが、革命は自分の目の黒いうちには無いだろうと思いつつも、社会に対する呼び掛けのような執筆活動はぎりぎりまで欠かしませんでした。自分と同じ志を持つ人を100人作ることができれば、その志はさらに多くの人に広まっていくのではないかというように、最終的には社会を変えることも考えながら発言をしていたのは引用させていただいた坂口安吾の文章にしびれたからだと言えなくもありません。

あと、坂口安吾と言えば、日本における天皇についての仕組みを多くの人にわかるように説明してくれた人物と評価することもできるでしょう。しかし、安吾自身は左翼というわけではなく、かと言って右翼でもなく、単に天皇制や当時の尾崎咢堂の「世界連邦論」を文学者としての立場から批判的に書いたに過ぎません。そして、その論理というのは現代にも通じる話として読むことができます。未読の方のために、少し長いですが日本人が歴代天皇とどのように関係を持っていたかを解き明かした部分を紹介しておきましょう。

坂口安吾『続堕落論』(青空文庫版)から引用
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天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒涜(ぼうとく)しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり。しかもこれが日本歴史を一貫する天皇制の真実の相であり、日本史の偽らざる実体なのである。
藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた。彼等は真に骨の髄から盲目的に崇拝し、同時に天皇をもてあそび、我が身の便利の道具とし、冒涜の限りをつくしていた。現代に至るまで、そして、現在も尚、代議士諸公は天皇の尊厳を云々し、国民は又、概おおむねそれを支持している。
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このような内容について、今なら「坂口安吾はアカヒの手先か」というような感想をもらす人も多く出てくるかも知れませんが、当時は左翼だけでなく右翼の若者にも安吾の文章は読まれていて、体制には反抗する「新右翼」の中でも原体験に安吾の文を挙げる方もいます。それが、朝日新聞社に乗り込んで自決するという人生の幕引きをした野村秋介氏でした。竹中労さんとの対談で安吾の事について語った部分がありますのでその部分も引用して紹介します。

新雑誌X 1983年11月号 「人物探検記 2」 野村秋介氏との対談から
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竹中:当時(引用者注 野村氏が二十才頃のこと)、どんな本を読んでたの?
野村:坂口安吾です、ね。『堕落論』とか、『不良少年とキリスト』なんか……
(中略)
竹中:やはり坂口安吾ですか!
野村:安吾のおかげで、「右翼」になったみたいなものです。
竹中:俺は安吾のおかげで”天皇制”のからくりが見えた(笑)。
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同じ人が書いた同じ本を読んでその内容にしびれ、しかし思想的には右と左に分かれていくという事がここでは語られています。だからこそ、同じ場で左右関係なく共闘することもできたということなのでしょうか。左でも右でも関係なく同じ世代で同じ価値感を共有するということは、今のネット世界にどっぷりと浸かっている人にはなかなか難しいかも知れませんが、そんな人には竹中労さんの文章もそうですが、坂口安吾の様々なエッセイも思想に関係なく読まれていって欲しいと個人的には思っています。

竹中労さんに「放っておけば、消えてなくなる」と言われたアグネス・チャン

映画監督の鈴木清順さんの訃報が入ってきました。私は直接お話をしたことはありませんでしたが、竹中労さんがご存命の頃、竹中労さんも参加される月例のセミナー「風の会」のゲストとして登場した時に会場内にいてそのお姿およびお話を聞く機会を得ることができました。大変残念ではありますが、ご冥福をお祈りいたします。

さて、急に話は変わりますが、インターネットの文字によるコミュニケーションが多い方は「アスキーアート」という言葉をご存知の方も多いと思いますが、これは文字を構成する記号などを使って作った様々な絵のことで、文章のようにコピーペーストすればこのようなブログでも、掲示板でも見る人の環境さえ整っていればきれいに見ることができる表現の手段があります。その中の有名なものに、顔に青筋を立てた女性が引き戸をガラッと開けて怒鳴り込む直前のようなアスキーアートがあって、話題がいかにもアグネス・チャン氏が文句を言いそうだという場面に貼り付けられることが多くなっています。

彼女のデビュー当時はいかにも大人しく可愛らしい風だったのですが、アイドルを卒業して文化人としての路線転換を行なっている時期には、子育ての問題や児童ポルノの問題でそのあまりにもすごいと見ている人が思ってしまうようなテンションでテレビで発言する姿にインパクトがあったのでしょう。結果としてインターネットをやっている方なら多くの方がご存知のアスキーアートの主となってしまったのです。

今回、竹中労さんがこのアグネス・チャン氏に触れたダ・カーポの連載「テレビ観想」を読んでいると、それなりに芸能界で生き残っているアグネス・チャン氏について、人々はもう少し接する方法を違えても良かったのではないかとも思えてきます。というのも、現代においても、テレビに出続け話題にされ続けることによって生き永らえるようなポジションにいる方が多く、そうした人をこれ以上見たくないという風に思っていてもテレビの力はまだまだ強いので、完全に見たくない人を駆除できないという事があるかと思います。ここでは改めて当時の竹中労さんの書かれた内容を紹介することで、今後に向けてスルーする必要について考えてみたいと思います。

当時、アグネス・チャン氏は生まれたばかりの第一子を仕事場に連れてきたことで、子育て論争なるものが起きましたが、そうしてある程様文化人としての地位を確立したアグネス氏は、1989年1月に発行された自分の講演料について論じた講談社の「DAYS JAPAN」という雑誌に噛みつきました。

雑誌ではアグネス氏の講演料は一回につき約200万円だと報じたのですが、アグネス氏側は額が違うと主張しました。ただ個人的にびっくりしたのが、訂正してきた講演料の金額というのが、こちらも十分庶民感覚では高いと思われる100万円だったということでした。ですから、個人的には100万円でも200万円でも高い講演料だなと思う人が大半で、金額を間違ったとは言えそれほど大きな問題にはならないのではと思ったとたん、あまりのアグネス氏側の抗議により、DAYS JAPANは一時廃刊になったというのですから穏やかではありません。これはアグネス氏本人が抗議したからというよりも、テレビでの連日の放送による無言の圧力があったかも知れませんが、竹中労さんが指摘しているように、糾弾されるべきはアグネス氏や周辺の圧力ではなく、弱腰のまま廃刊を決めた講談社のだらしなさにあったと今となっては言えるかも知れません。

そうした「武勇伝」とともにアグネス氏はテレビ業界で力を付け、アイドルだったアグネス氏は完全に文化人としてのポジションを手に入れたと言えます。しかし、改めて思うのですが、多少テレビで顔が売れていると言っても、一回の公演をすれば収入が100万円というのはどれほど素晴しいお話をしてくれるのかと皮肉の一つも言いたくなるというものです。

かくいう竹中労さんも、アグネス氏の事について、以下のように紹介し、評価しています。

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・まずしい日本語をしゃべる、外国人タレント。という印象しか、ぼくは抱いたことがなかった。
・表現力よりも、心根において貧しいのである。したがって歌が下手ダ、現役の芸能記者時代でも、問題外のソトの人。当然、「子づれ」がどうのこうのと、詰まらない論争には我不関焉《われかんせず》。
(ダ・カーポ連載「テレビ観想」第19回より引用)
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この文章を竹中労さんが書いていた頃にはアグネス氏は渡辺プロダクションからの独立を果たし、彼女の夫が社長となる個人事務所を設立しています。となるとアグネス一家の命運は唯一のタレントであるアグネス・チャン氏一人の肩にかかってきたわけですから、どんな事をしても生き残らねばならない事情はあったのでしょうが、竹中労さんと同じように子育て論争を含めてどうでもいいと思っている人にとっては本当にどうでもいい事だったわけです。しかし、当時のテレビの力というのはアグネス氏を芸能界で延命させるような騒ぎ方をしていったのでした。

その後、児童虐待問題でアグネス氏がテレビで自論を展開する段になって、最初に紹介したアスキーアートになってしまうほど、アグネス氏は芸能界に確固たる地位を築いてしまったのでした。もし過去の騒動などで大騒ぎせずに、多くの人が無視を決めこんでいたら、もっと違った展開になっていたかも知れません。

このような事例は今後も多くテレビのワイドショーを賑わせることでしょうが、そうした人をやり過ごすためには、竹中労さんの書かれた言葉をもっと多くの人がかみしめて同じ事を何度も繰り返さない事が大事ではないかと思います。最後にその言葉を紹介しましょう。

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毒にも薬にもならぬ、アグネス・チャンふうが当世流、関節のゆるんだ八〇年代のアイドルであった。放っておけば、消えてなくなる。真剣に腹を立て、相手にすればするほど商売繁盛。
(ダ・カーポ連載「テレビ観想」第19回より引用)
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改めてわかる「たま」の異質さとそれを評価する眼

朝日新聞の土曜版別刷り「be」で、「もういちど流行歌」というコーナーがあります。たまたま読んだ2017年1月28日付けの紙面では1990年7月のオリコン・チャートベスト20から朝日新聞デジタルの読者が投票して「読者のベスト15」を決め、その結果を取材して記事にしています。

そのベスト15で堂々のベスト1に輝いたのはB.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」で、当時のバブル期の雰囲気とからめて記事にしていました。投票2位も米米CLUBの「浪漫飛行」で、バブルの記憶と結びついているという意見が紹介されていました。さらに、当時は仕事がたくさんあり、音楽を聴くどころではなかったという意見も紹介されています。

その他目立ったところでは4位のTUBE「あー夏休み」や、10位のユニコーン「働く男」など、世の流れはイケイケドンドンという感じにこの記事を読んだだけでは思えてしまいがちですが、この記事は一つ大きな見落しをしています。それは投票総数のうち327票を集めて5位になった、たまの「さよなら人類/らんちう」について一言も触れられていないところです。ちなみに、「おどるポンポコリン」の票数は903票でした。

当時のオリコントップ10にも8位にランクインし、その年の紅白歌合戦にも出場した「たま」は1990年の音楽シーンにそれなりのインパクトとともに登場し、大きな印象を現在まで与え続けています。しかし同時期に売れた曲との比較の中では「たま」だけが異質のような「暗さ」を持っている事を忘れてはいけないでしょう。

バブル期で世間が騒げば騒ぐほど、このままの状況が続くのだろうかと不安に思ったり、世の中が退廃していくことへの嘆きを持つ人も少なからず存在していたでしょう。そうした民衆の不安というものを「たま」の楽曲を通して見事に解説してみせたのが竹中労さんでした。この年には「たまの本」を出したということもあり、かなり多くのテレビに出演し、自論を述べたことにより初めて竹中労という存在を知った方もいるのではないでしょうか。

「たま」を聴いてから竹中労さんに出会った人と違い、それまで竹中労さんのことを良く知っている人は口々に、なぜ竹中労はこんなバンドをビートルズの再来だとまで持ち上げて騒ぐのだと否定的な見解が多くありました。しかし、2017年という未来から1990年のチャートを見てみると、「たま」は確実に現在の日本を当時の状況の中で予言していた唯一のバンドであることが理解できるような気がするのです。

どの世の中でも論説の「主流」があり、そうした主流に寄り添うような形で発言することは自分も相手も傷つけずに無難に行なうことができます。しかし、そうした「主流」からいったん外れるような主張をした場合、今の世の中では特にやり玉に挙げられると徹底的に攻撃を受ける風潮があり、それなりの覚悟がなければ意見を出すのが難しい場面もあります。

今にして思えば、日本のミュージックシーンにおいてあらゆる宣伝とは関係なく、さらに売り出しを目的に作られた音楽とも違うオーディション番組の中からひょっこりと顔を出した「たま」の姿にシンパシーを感じ、勝手に連帯してあらゆるプロジェクトを人からもメンバーからも頼まれずにやってしまったのは、計算があってのことではなかったと思います。なぜなら、その時すでに命の締め切りを告知された後で、今後今まで自分のしてきた仕事の中で何を仕上げるのか取捨選択しなければならない時でもあったからです。

しかし結果的に竹中労さんは「たま」のムーブメントに乗り、実現はしなかった事を含めても、壮大なプロジェクトを発想し、そのまま帰らぬ人になりました。これは竹中労という人が決して文筆家で留まる人ではなく、実践を伴う革命家であった証として忘れてはいけない事実であろうと思います。

「映画ファン」と「映画評論家」竹中労さんはどちら?

2017年のお正月である1月7日にNHK BSプレミアムで放送された、「たけしのこれがホントのニッポン芸能史」第9弾は「時代劇」でした。竹中労さんのことを好きな方は特に、時代劇の歴史とくれば、戦前からの流れにスポットを当てるものになるかと期待された方も私と同じようにいたかも知れませんが、結果的には見るのを後悔するほどひどいと私には感じられるような後味の悪い番組であるように感じることになりました(これ以降の内容についてもあくまで個人的な感想であることをここにお断りしておきます(^^;))。

それでも、司会のビートたけしさんが子供の頃に見た嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」の話をして、大人も子供も嵐寛寿郎が馬に乗って緊迫の現場に駆けつけるシーンでは画面に向かって拍手をしたり声援を送ったりしていたという経験を話したのが唯一当時の映画館の雰囲気を私に味あわせてくれ、日本の時代劇の歴史を感じた一瞬でした。しかし戦前の映画で紹介したのは「雄呂血」のみと言っても過言ではなく、その後は早々とテレビ時代劇に「歴史」が移行していったのにはびっくりし、そして呆れました。

さらにゲストの高橋英樹氏について語るなら、「桃太郎侍」よりも「ぶらり信兵衛道場破り」だろうとか(^^;)、番組内の突っ込みどころはかなり多かったのですが、さらに呆れたのは番組の後半にありました。

現在、時代劇を再放送でなく放送しているのは、テレビ東京系のBSジャパンをのぞけばNHKしかないからなのか、時代劇の舞台裏ということで翌日放送だった大河ドラマの新シリーズ「おんな城主直虎」の舞台裏を出してくるなど、大河ドラマの直前PR番組に成り下がってしまったと私には感じられました。NHKの番組はアーカイブスとして後々まで見られるように保存してあるのですから、第8弾までは普通に日本の芸能史に光を当てて検証してきた番組の中にこうした「番宣」のための番組を挿入するというのはいかなる所存かと怒りだした人もいたかも知れません。

もし、新しい大河ドラマがこけてしまったら、この番組すら後々まで恥を晒すことになるかも知れないのに、よくこんな番組の作り方をしたなと個人的には思います。

逆に言うと、それだけまともに時代劇について語ることのできる人がNHK内部では番組制作の場において冷遇されていることも予想され、これでは今後NHKが作る時代劇はろくなものにはならないのではないかと新年早々から暗い気持ちになってしまった2017年のお正月でした。

竹中労さんと映画との関係も、ビートたけしさんと同じく嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」に幼少の頃に出会ったことから始まりました。その銀幕上のスターとして崇め、奉っていた嵐寛寿郎氏のインタビューを取り、「鞍馬天狗のおじさんは」という本にまとめることになったというのも、その熱狂的なあこがれの延長線上にあると言えるでしょう。

竹中労さんご本人が「評論家」と呼ばれる事を嫌ったのはご存知の方も多いでしょうが、あくまでミーハーな映画ファンとして取材することで、一連の映画に関する著作が生み出されたとも考えられます。事務的に評論するのではなく、熱く映画について語りたいという竹中労さんのスタンスは、音楽でもそうですが映画についてもかなりのもので、そうしたファン気質を持ったままつき進んでいたところに面白さがあるのではないかと私には思えます。

竹中労さんの著作の中では名作と言われて久しい、嵐寛寿郎さんに取材した「鞍馬天狗のおじさんは」が昨年再版されているのをご存知でしょうか。写真などもふんだんに使われていて、当時の事を知らない方でも面白く読めるものに仕上がっています。竹中労さんの著作の中では珍しく、一般書店に注文を出せば購入できるものなので、まだ未読の方はぜひその世界に足を踏み入れてみることをおすすめします。このブログでは、今後とも竹中労さんの新刊本が発売された際には、できるだけその流れを追い掛けて、紹介できるようにアンテナを広げていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

竹中労さんの片思い?

2016年末から2017年にかけて、いろんな特番の再放送がされましたが、ビートルズ来日50周年だった2016年に放送されたビートルズ来日に関わるさまざまな人に取材したNHK BSプレミアムの番組(番組名は忘れてしまいました(^^;))の中に、音楽評論家の湯川れい子さんが出ていたので、ちょっと気になって見てみました。

その中で、当時のビートルズに対して記者会見上で大声を挙げた事についてかなりバッシングされたとインタビューで答えていたのですが、その際にテレビに映った記事は、まさに「ビートルズ・レポート」の当該部分だったのです。

番組では「ビートルズ・レポート」のことも竹中労さんの事も出ませんでしたが、番組を見た人なら、当時の湯川れい子さんは竹中労さんをはじめとするビートルズ・レポート取材班の方々と何らかの感情的ないざこざがあったのではないかとも思えるような感じがありました。もしかしたら、「ビートルズ・レポート」では湯川れい子さんはまだしも、同じくビートルズに直接インタビューした星加ルミ子氏の事をあまり良く書いていないというか、悪意があるのではないかと読んでいる人に思わせるような内容がある気もするので、そういう姿勢にも腹が立っていたのかもと思えなくもありません。「ビートルズ・レポート」の中では湯川れい子さんに対してはエールを送っている内容もかいま見えるのに、そうした想いが伝わっていない「片思い」的な状況になっているのは大変残念としか言えません。

これは、受け取る側のとらえ方でありますから仕方がないとは言え、竹中労さんの発言したり書いたものについて注目が集まるあまり、その真意が伝わっていない部分も少なからずあるのではないかとも思えるので、当事者とは全く関係ないとは言え、個人的に歯がゆい想いもあります。

ただ、物書きとしては全てにわたって自分の思い通りに行かないことはあるもので、それこそ名著と言われる「美空ひばり」の中にもそうした箇所があるのは有名です。これは文庫本(朝日文庫およびちくま文庫版)に載っていることですが、美空ひばりと山口組の田岡組長との関係を書いたことについて、「なぜ、親分の事を書いたのよ!」と美空ひばりさんのお母さんから激怒され、しばらくは出入りを禁じられた顛末が紹介されています。

竹中労さんは自分の考えにしたがって良かれと思って美空ひばりさんと山口組との関係について書いたそうですが、当時の竹中労さんの想いも美空ひばりファミリーには理解されなかった事も事実です。

このように、対象者に良かれと思って書いたことが当の本人に理解されず、逆に怒らせてしまうというのも竹中労さんの人間くささというか、個人的には好きな部分です。最初に挙げた湯川れい子さんとの件についても、いつかは竹中労さんの真意が理解されるといいのですが。

竹中労さんは当初「ビートルズ嫌い」だった?

音楽評論家の伊藤強氏が、2016年12月15日にお亡くなりになりました。単にネットでプロフィールを見るだけでは、竹中労さんとの関係はわかりませんが、この方こそ名著「ビートルズ・レポート」を竹中労さんと一緒になって書かれたチームの一員だった方の一人です。ご冥福をお祈りいたします。

「完全復刻版」と銘打たれたWAVE出版の「ビートルズ・レポート」の巻末には、竹中労さんだけでなく、仕掛人となった河端茂氏(当時・音楽之友社)と、当時は報知新聞の文化部記者だった伊藤強氏の文章が載っています。その他、当時東京中日スポーツの記者だった森田潤氏、藤中治氏(日刊スポーツ)が「音楽記者」としてこのレポートの記事を書いています。

その中で伊藤氏の文章の頭に、はじめて竹中労さんに会った時の事が書かれています。伊藤さん自らの意志ということではなく、まず最初に河端氏から竹中労に会わないかと言われて会ったとのことですが、その前に河端茂氏と伊藤強氏が話している中で、ビートルズ初来日のレポートを書く話が始まったといいます(この時点ではまだ竹中労さんの名前は出てきません)。そして、河端氏の文章の中に、ビートルズと竹中労さんを結びつけるこんな内容が書かれていたのです。

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私が”ビートルズ嫌い”の竹中労に意向を叩いたのは、別に他意はない。ポピュラー音楽の華は、つねに異種混合の土壌に咲く。それなら書く方も異種混合でやってやれ、とおもったにすぎない。
(河端茂「あのとき、みんな曲り角に立っていた」から一部引用)
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こう河端氏が書くからには竹中労さんもビートルズの来日前には公前と「ビートルズ嫌い」を口にしていたということになりますが、それは同じ「完全復刻版 ビートルズ・レポート」のあと書きに竹中労さん自身が書いていたのでした。というのも竹中労さんの著作「呼び屋」の終章のタイトルが『くたばれ、ビートルズ!』であり、その文章を書いた当時には竹中労さんは彼らの音楽に納得していなかったと正直に書いています。

ただ、レコードやラジオで聴くのと、実際にその演奏を感じるのとでは違うことがあるということは当然あり、竹中労さんもそのように書いてもいます。恐らくそういったことを河端氏からうまく言われてその気になって「ビートルズ・レポート」に関わる中でビートルズ贔屓へと変わっていったというのが本当のところではないでしょうか。

河端氏にはいくらビートルズ嫌いを公言していたとは言え、ビートルズ来日にまつわるレポートをまとめられるのは竹中労さんしかいないとピンと来たのかも知れません。さらに「竹中チーム」として執筆に加わった河端氏伊藤氏をはじめとするマスコミ・出版者に所属するメンバーは名前を前面に出してレポートを書くことができなかったことから、竹中労さんが文責を一手に引き受けて「ビートルズ・レポート」が書かれたのです。

このような形で竹中労さんと言ったらビートルズと言われるようになるくらい、多くの人に認知されてしまうのですから、この功績というのは竹中労さんの仕事が素晴らしいからということはもちろんあるにしても、竹中チームを支えただけでなく、竹中労さんがビートルズについて書くきっかけを与えた河端茂氏や伊藤強氏の力もあったと言うべきでしょう。河端氏もすでに故人となっておられますが、その仕事とともに「ビートルズ・レポート」をプロデュースしたという点についてもしっかりと記憶しておくべき方だと思います。

竹中労さんの芸能記者活動とそれ以降のものは何が違うのか?

竹中労さんがはじめにジャーナリストとして席を置いたのが、「東京毎夕新聞」という会社でした。そこでスキャンダラスな内容を含む記事を書いていく中での葛藤について、ちくま文庫「芸能人別帳」の巻末に掲載されている関川夏央氏による文章にその記載があります。文章の中に竹中労さんへのインタビューも掲載されていて、興味深い内容が紹介されています。

当時の「東京毎夕新聞」社主であった田中彰治氏は多くの不正の追求をしながらも相手の懐に入り込み、巧みに金をせしめるということを普通に行なっていました。竹中労さんが苦労してものにした身延山の山林汚職のルポも活字にならず、田中氏はそのルポを身延山への恐喝じみた集金の材料として使ったのだという事です。それが直接竹中労さんが東京毎夕新聞を辞めた理由なのだということを関川氏に話しています。

竹中労さんは自分の功名のため記事を新聞に載せてほしいと願ったものの、あくまで社主は記事の原稿というものをお金を取るための材料としか考えていなかったことで、自分の書いたものを活字で発表したいという気持ちから会社をやめて一時フリーになります。その後「女性自身」のライターとしてスカウトされることで多くの芸能記事を書いていくわけですが、その中の取材対象者であるタレントとの神経戦のような交渉の様子が同じ関川夏央氏の文章の中に紹介されていて、今の芸能ジャーナリズムとはちょっと違う印象を受けます。

芸能人というのは今も昔も芸能記者との関係において、自分の事を良く書いてくれる人に対しては愛想よくしゃべるものの、それをそのまま記事にしたところでコアなファンはまだしも多くの読者が興味を持って読んでくれる内容にはなかなかなりません。昔も今も誰と誰がひっついただとか結婚、離婚、一般人とのトラブル、薬物疑惑などの渦中にある芸能人に対しては、いくら本人が喋るのが嫌でも、何かその件に関するコメントを取り、そこをまとめた記事にすることで読者が食いつく記事になっていくわけです。

今の芸能ジャーナリズムは写真や動画、はたまたSNSの記述の一部をそのまま公開することで、最悪直接芸能人に取材できなくても、事実の核心を付いた面白い記事を書くことができます。しかし、その反面、記事を出した媒体と当事者である芸能人との関係は最悪となってしまいます。多くの出版者がかなりの訴訟を抱えているのもその理由でしょう。そこまでしてでも媒体が売れれば良いという理屈で、決して言い逃れがきかない動画や写真を入手する手間やお金(本人の友人や家族を抱き込んで提供させる場合)はかかりますが、とにかくこうだと方針を立てたらターゲットを追っていきさえすれば、かなり興味深い記事に仕上げることが可能です。今の世の中は活字媒体だけでなく、動画もスマホを使えばその場で見ることができるので、内容を見た人からすると記事の信憑性はさらに高まるということになります。

そうしたいわゆる「突撃型」の取材方法でなく、竹中労さんが使ったのは、さらに綿密な周辺取材を本人に会うまでにこなして行くことによって、記事に載せたい内容自体を本人もしくはマネージャーの了承を取って書くという方法でした。例えば芸能人夫妻の離婚の原因について書きたいと思った場合、離婚とは直接関係ない本人の家族に関する良くない話や、決して表には出したくないような自身の性癖のような、本人が突かれると最も痛い点を取材の上明らかにしておき、まだその事は出さないで、まず離婚問題でここまで書きたいという申し出をします。

その時点でも十分な当時者に対する説得を行ない、奥の手を出す前に相手が条件を飲めばそれはそれで良く、どうしても頑なに拒否された場合に奥の手を出します。例えば、2016年の末に薬物疑惑と性癖をいっぺんにバラされて発作的としか思えない芸能界引退を発表した某俳優の場合、もしその俳優としての芸に竹中労さんが惚れ込んでいたら、噂通り薬物をやっていたとしたら自らの取材でその内容を明らかにさせる代わりに、性癖の点については一切書かないから、本当の事を話してくれと説得するような形になるでしょうか。もちろんその後の活動についても関係各所を駈けずり回って、一時的には干されるにしても再登場できるような舞台を設けるところまでやると大見得を切るような事まで本人説得の材料として話すのではないかと私は思うのですが。もちろん、そうした事をするから金をよこせというような事もしないでしょう。

芸能人になりたい人というのは今も昔も多くいるので、一人の芸能人の去就など取るに足らないので、バッシングを受けるような事をやれば干されてそのままサヨナラになってしまっても仕方ないと思う考え方もありますが、世の中の全ての芸能ジャーナリズムがそうした考え一辺倒になるようでは、今活躍している人たちはいつ自分のところに来るかということが気になることで、一向にテレビや映画を見ていても面白くない人だけが生き残るということにもなっていくでしょう。

というか、そもそも今の芸能ジャーナリズムに「芸」というものを評価する素地があるのかということすら最近は疑問に思えます。真に磨かれた「芸」を持った人までスキャンダル取材で再起不能にするような芸能ジャーナリストがいたとしたら、その人は自分で自分の首を絞めているとしか私には思えません。叩くだけの価値のある芸能人がいなくなったらどうするのと、当時者に問うたら、それでも自分が生きている間だけこの業者が残っていればいいとでも言う人がいるかも知れないのが恐ろしいですが。

竹中労さんとパチンコ その3 ギャンブルそのものを楽しめる「達人」

ここまで竹中労さんのパチンコとの付き合いについて、その特徴を挙げてみますと、台の種類はデジパチ、台に向かう時間は事のついでの数十分、さらにもう一つが玉を現金に換えないで全て煙草という景品に換えているということです。

最近では玉と現金を交換するのに2つの交換レートがあったりしますが、当時は一つのレートしかなく投資金額が回収金額を上回るくらい勝つことというのはよほど大当たりが続かないと難しいものでした。

しかし、景品に換える場合というのは2500発で1万円分が上限の景品という風にになっていて、煙草の場合はディスカウントして売ることのできない専売品として今も存在しているので、煙草一箱を現金として数えれば勝ち負けのボーダーラインはかなり下がることが予想されます。

ただ、竹中労さんの行なったパチンコの楽しみ方というのは「勝負」は「勝負」でも決してお金を儲ける事が目的ではなかったでしょう。これは竹中労さんのアシスタントの方に聞いたことですが、パチンコで勝って交換したタバコがたまっているのにさらにパチンコで勝っても同じようにタバコに換えてくるので自宅にストックされているタバコが増えるばかりで、その引き取り手を探すのに苦労していたこともあったそうです。そうなると、竹中労さんにとってはパチンコで金銭的にあぶく銭を得ようとする気は全くなく、さらに景品を取ること自体にもそれほど興味がなく、単純にゲームとしての勝利を求めるがためにやっていたのではないかという感じがします。

一番最初に紹介したパチンコ雑誌のアンケートでも、庶民の娯楽としてパチンコは生き残って欲しいという希望を竹中労さんは書いておられましたが、決して時間もお金も仕事に影響を与えるほどつぎ込むことなくほどほどに楽しむことこそがパチンコの奥義であるのだとは良く言われるところです。何の知識もなくパチンコ屋さんに通い続け、数十万の負け分を取り戻そうとして数百万の負けになるようなケースは、お店にとっては実にいい「お客様」で、パチンコと付き合う中でも最悪のパターンでしょう。

ただ今後、そんな「いいお客さん」がさらに奈落の底につき落とされるケールが発生する可能性が出てきました。日本でもカジノをどうしても作りたい人がいるらしく関連法案が国会を通って将来のカジノを含めたリゾート計画が現実のものとなりつつありますが、もしそうした流れを受けて作られたカジノで、スロットマシーンがいつでもできるようになったとしたら、パチンコで数百万負けた人がその負け分を取り戻そうとして数千万以上なんて考えたくもない程の負けに急速に到達してしまう人が出てくるかも知れません。

この国は、競馬で勝ったお金にもその額が膨大になるときちんと収支報告をしなければ税金を取るような事をする国なのですから、公営をはじめとする国が主導するギャンブルというのはどちらにしても国にお金を貢ぐようなものです。その中でもパチンコは庶民のギャンブルと言われたのですが、それでも勝ち続けるのは容易ではなく、昔から決まった店をねぐらに生活費を稼ぐパチプロと呼ばれるような人でも毎日続けて勝つことはまれで、何とか月のトータルで十数万勝てるかどうかという厳しさを受け入れて毎日の収支を計算しながらパチンコをしています。私自身も一時期パチンコにはまったことがありましたが現在は以上のような理由からギャンブルの世界からは足を洗っているのですが、それは一度はまるとギャンブル依存症にまっしぐらになってしまうかも知れない恐怖の裏返しでもあります。

改めて竹中労さんのパチンコとの付き合い方を見ていくと、凡人だと大勝ちすれば現金に替えてしまいたくなるところ、あくまで景品を取るだけと割り切るところなど賭け事の恐さと面白さを良く知っている達人だと私には思えます。このような才能は凡人ではとても真似ができるものではないので、くれぐれもギャンブルにはまって現在の日本の特権階級の懐をあたためるような負け方をしない程度に楽しめないなら、一切手を染めないのがいいかと思います。

竹中労さんとパチンコ その2 良い台を見分ける竹中労さんの秘訣?

前回はスロットマシンを回すように数字を回転させることで大当りを出すデジパチに絞って竹中労さん独特のパチンコ必勝法について考えてみましたが、この種のパチンコ台はお店の方で不正に確率の偏った「裏ロム」を使っていない限り、どの台も当る確率は同じなはずです。その確率については台のスペックを紹介しているものを見れば、通常時と確変時の確率が表示されています。ただ、その確率通りに行かないのがパチンコというゲームの面白いところで、大ハマりする台があるから出まくる台も出るという風に考えると、台をお客の立場で見分ける方法は一つしかありません。

それは、同じお店でオープン時から入り、全ての台の大当たりデータをチェックして、どの台がどのくらいの頻度で当っているのか、まだ当たりが止まっていない台はどれか、そろそろまとめて出てきそうな大ハマりの台はどれかなど常に大当りデータについての情報集収をした上で出る周期になっていると思われる台ばかりを狙うことです(そこまでやっても確実に大当りが出る台がわからないことも当然あります)。

これは、ふらっとお店に来て適当な台に座ってもわかるはずもなく、一つ考えられることは既に竹中労さんがそのお店をねぐらにしているパチプロや店員に顔が効き、まだ出そうな台を教えてもらっていたか、初めて入る店でもルポライターとしての取材よろしく世間話などしながらそれとなくお店の主らしい人間とコンタクトを取り、その上で座る台を決めているのではないかと思うわけです。

どんなお店でも普通に座って打つよりも確率が高い台を選ぶためには当然竹中労さん自身の長年のカンというか経験に基づく行動というのもあったと思いますので、あらゆる台についての情報を収集しながら、できるだけ負けない台を狙うということがどこでもできていたのが竹中労さんのパチンコとの付き合いだったのではないかと私は考えます。

さらに、一回のパチンコにかける時間が短いという事も忘れてはいけません。良い台を長時間打ち続けたとしても倍々ゲームで儲かるものではない事もデジパチについては言えます。短時間でドル箱を複数出してもそこで止めないで続けたがゆえに、出した分以上につぎ込んでしまったという事を経験した方なら、短時間にさっと儲けて帰っていく竹中労さんの打ち方には勝負師としてのものを感じたのではないでしょうか。

ただ、そんな竹中労さんでも投資額以上にはまってしまう事も無いとは言えません。元々パチンコは景品をさらに現金に交換する中で中抜きされるということがあり、お店や交換業者にも利益が上がるようなお客に不利な条件で勝負しているわけですから、めったに負けないという事が真実であったとしたら、竹中労さんはインチキをして玉を台から抜いていたのではないかという疑惑も出てこようというものです(^^;)。

次回はさらにもう一つ、竹中労さんのパチンコに対するポリシーから勝ち続けられる秘訣ではないかと思える事について考えてみたいと思います。(つづく)

竹中労さんとパチンコ その1 本人の語る「パチンコの腕前」

私が、もし竹中労さんと直接話をして、何を聞いてもいいよと言われた場合につい考えてしまった事の中の一つは、ここを読んでいる皆さんからすると大変下世話な事で申し訳ありませんが、「パチンコの台を見分ける極意は?」というものでした。

私がまだ竹中労さんの事をほとんど知らない頃、たぶん1985年頃だったと思いますが、全国の特定のパチンコ屋さんに置かれているミニコミ紙「王様手帖」という小冊子がありまして、その中の有名人・著名人に聞くパチンコについてのアンケートの中に肩書が「ルポライター」であった竹中労さんの名前を発見したことがありました。

アンケートの中味はパチンコの現在と未来についてのものでしたが、その中で竹中労さんは吸っているタバコをほとんど買ったことがなく、それは全てパチンコの成果ですと書いていたのが印象的でした。さらに、パチンコの未来については、せめて自分が生きている間までは盛んであって欲しいというような事が書いてありました。

その後、もう少し詳しいパチンコについて書いたものを読む機会があったのは、ダ・カーポの連載「テレビ観想」の中のもので、当時の社会党のスポンサーがパチンコ業界だったという報道を受けて、自分とパチンコとの関係について少々脱線気味に書かれていて、興味深く読んだことを覚えています。

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さてお立会、小生(やつがれ)は煙草を買ったことがない。もっぱらパチンコ、月に二度ほどの外出のさい、十五~三十分ほどのわずかな暇をみつけて、店をえらばす最低五十箱はかせぐ。
(中略)
台を見極める秘訣があるのだが、誰にも教えない。とまれ、酒を断ってから煙草の量も激減して日々十本、八月の戦果のみで年間をまかなえる。独りではとうてい吸いきれず、ニコチン中毒気味の側近や来客を潤しておるのダ。
(ダ・カーポ No.190「テレビ観想」第12回 夢坊主辻説法(2)より)
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どの種類の台を打っているかという事については中略した文章の中に「打ちこみ二十発、555三連勝!」とあるので、当時のデジパチでスロットでも一般台でも一発台(権利物)でもないということになります。この種の台は今でも主流だと思うので、台を見極める秘訣があったのならぜひ教えていただきたかったと改めて思う次第です(^^;)。

ただ、冷静に考えてみるとデジパチで必ず勝てる人はパチプロを含めていないのではないかと考えることもできます。もしかしたら上に引用した内容についても、竹中労さん独特のハッタリかとも考えられます。でも連載の文章の中では日付まで書いて戦果を報告している以上、何らかの必勝法を持っていたと考えるべきで、今回は無謀にもその「必勝法」について考えていこうと思っています。

まず、何百回何千回と回しても大当たりが出るとは限らないデジバチを、全く何の情報もない中で出そうな台を選ぶには、入口に近い台がいいなどと生半可な知識ではとうてい攻略は不可能で、一般的にはいわゆる玉の持ちが良い台を選べるかどうかにかかっている部分はあります。回転開始チャッカーに良く入ったり、他の入賞穴に入りやすい釘の並びになっているかどうかは釘を見ることができればわかるかも知れませんが、釘をきちんと見られるならば竹中労さんがパチンコを楽しんでいた当時なら一発台や権利物を狙う方が確実だったでしょう。

でもデジバチ専門ということになると、単に釘の工合でない別の判断の仕方があったと見るべきでしょう。そのように考えていく中で、実に竹中労さんらしい良い(すぐ出る)台の見分け方についての仮説が考えられるのです。(つづく)